とんだ恥さらしだ。国際社会では喜劇というべきか、悲劇というべきか。まさに恥ずべし韓国人と言える。
「疑惑だけで任命しないならば、悪い先例になるだろう」といって、疑惑にまみれたタマネギ男の曺国を法務部長官に任命を強行したのは、つい先ごろのことだった。
本人(曺国)が責任を負わなければならない明白な違法行為が確認されなかったからだといっても、疑惑にまみれたタマネギ男が、検察改革を大言壮語するなど、とんでもないことだと、誰しもが思ったことだろう。
現時点では違法行為がなかったといっても、疑惑があるということは、調査していけば、違法行為が出てくるということにもなり、だからこそ、その調査を待っても遅くはなかったはずだ。
そうした調査を待たずに、曺国は辞任した。その口から検察改革などとんでもないことだ。法を重んずべき立場の者が法をないがしろにするということはこのことだろう。
法は人が作るものであり、だから、その法は、その人次第でどうにでも作り変えられるものであり、法なんてクソクラエだと思っているような行動が、今回の辞任劇に隠されているようで、そら恐ろしくなる。そうした考えは、革命志向の考えというほかあるまい。
文在寅と曺国が、もし革命同志としてローソク革命を成功させた当事者であったなら、朴槿惠大統領弾劾を成功させたということであり、革命の第一関門を突破したということになろう。
第二関門として、またしても二人のコンビで検察改革を標榜し、実は人事権の完全を掌握を狙う革命を画策したのかどうかは闇の中だが、一方の辞任で、その画策はとん挫した形になったと、思われないこともない。
しかし、それは地下に潜るということに過ぎず、革命行為はさらに高くなるかもしれないのだ。
たとえば、解放後の在日同胞社会で傍若無人に行動していた朝連が、GHQにより解散させられたが、地下に潜って民戦と称し、暴力行為を過激化させたことはよく知られている。今回の曺国辞任も、あるいはそのような流れにあるのではないかと危惧する。
かつて、北韓の金正日政権が麻薬取引をしていたことを国際社会に暴露されたことがある。
その北韓の麻薬が、最近は中国経由で韓国に流れ込んでいるという噂も聞かれてくる。そのような麻薬が革命勢力の資金源にならないことを祈るばかりだし、アヘン戦争にならないことを願うばかりだ。(韓登)