ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~17 見せしめのため犯罪者が作られる

「北送事業」60周年を迎えて
日付: 2019年10月02日 00時00分

たんぽぽ


北朝鮮で、スパイ容疑・国家転覆容疑などの重罪で一番多く処罰されたのは、1980年以前は次のような人たちが主だった。
(1)50年から3年間行われた朝鮮戦争のときに、帰順したり捕虜になるなどして北朝鮮に来た韓国出身者
(2)日本から「帰還事業」で北朝鮮に渡って来た在日朝鮮人(帰国者の中で朝鮮総連という組織の幹部をしていた人たち)
(3)有名人
日本でも有名だった韓国人舞踏家チェ・スンヒ氏、「平壌の水槽」を書いた姜哲煥氏の祖父で芸能人だった永田絃次郎氏など多くの有名人が消え去った。
80年以降は、帰国者のなかから処罰されるようになった。韓国の済州島4・3事件関連者で、いったん日本に逃れてから北朝鮮帰ってきた人たちが最初のターゲットとなった。その次は、北朝鮮の80年代の合営会社法で日本の親戚などから出資を受けて会社、工場などを経営していた帰国者、そして大村収容所出身者などだった。
北朝鮮で済州島4・3事件関連者の処罰が終わったのか、彼らの噂が聞こえなくなった80年半ば以後に済州島4・3事件が革命実話ドラマとして放送されて、凄く戸惑った記憶がある。金日成の革命歴史教材には記載がなかった済州島4・3事件だが、金日成の南朝鮮革命指導功績として本も出版された。それなのに、済州島4・3事件の関連者たちはなぜ処罰されたのか。まったく疑問だらけだった。
北朝鮮で日本の地名を最初に覚えたのが「大村」だった。私は北朝鮮にいるとき、大村収容所がスパイ養成所だと理解していた。私の周りでスパイ容疑者として定期的に国家保衛部に出入りしている公認されている人たちが大村収容所出身だった。中学・高校のクラスに親が大村収容所関連者の子がいた。親子でいつも暗い顔をしていたように思う。95年以後、その子たちの家族は、みんな街から消えた。
北朝鮮で、犯罪者には本当に罪があるかどうか、私はわからない。犯罪者裁判もないし家庭裁判以外は弁護士制度もない。予告もなく授業中にいきなり処刑場に皆で連れて行かれることもあった。国家保衛部の人が罪名を読んで、銃殺されてしまう。本人は一言も弁明の機会は与えられない。
私の周りで消えた人の中には、決して悪い人に見えない人もいた。北朝鮮の人々は、スパイ容疑者という罪状がつくと、本当のスパイではなく国の見せしめのため標的になってしまった「運が悪い人」と理解している。
日本のように普通に仕事していれば食べていける国とは全く違うのである。北朝鮮は生きるか死ぬかの選択肢しかないところで、日常生活のなかに人の本性が全部現れてしまうので、表裏を演じる暇も余力もないのだ。
80年半ばまでは、経済犯罪についてはたまに裁判が行われて、団体で見学に連れて行かれることもあった。裁判中、犯人になぜ泥棒したかを裁判長が質問したとき「配給がないし配給をもらっても足りないからお腹が空いて泥棒をした」と答えて、聴衆は皆犯人の話に肯いた。
北朝鮮では、会場にとにかく人を集める風習がある。裁判所も傍聴席に空席が1つもない状態にしていたのだ。その聴衆が「自分たちもいつ家族のために、我が子のために泥棒になるかわからない」と犯人に同情して、裁判所の雰囲気が重苦しくなってしまった。そのようなことが全国で何件も起きた。それで、いつのまにか経済犯も裁判なしで安全部=警察署で処理するようになった。
このように人の扱いに「ルール」など無い北朝鮮だが、他国と同じように、いつも政治的に大事な局面の時は大きな事件が起こった。北朝鮮では毎日の生活が大変で、皆が自分のことで精いっぱいではあったが、「今度は誰がスケープゴートになるのか」と心は痛んだ。しかし、じっと見守ることしかできなかった。
80年代後半に東ヨーロッパ社会主義国が倒れるなか、北朝鮮では毎日組織的な学習と点検・検閲が行われた。週3回の組織生活も大変なのに、毎日何回も組織の集まりがあった。その時期、青津という町の人で「五輪会社」という会社の社長が、アダルトビデオを観たという罪で銃殺された。明らかに全国民に対する見せしめだった。(つづく)


閉じる