李承晩と朴正熙は悪い平和ではなく本当の平和のために北韓に立ち向かい、戦争をするかもしれないと覚悟した。その覚悟があったから今日、大韓民国が存在できたのではないだろうか。
戦争ではないあらゆる状況を平和といえるなら、平和を維持するのは容易なはずだ。敵がわれわれに加える一切の挑発行為に無反応・無抵抗で対処すればいいからだ。もっと簡単な方法もある。事前に敵に媚びればいい。もっとたやすい方法もある。大韓民国の軍隊を解体してしまえばいい。そうすれば、われわれは戦争ができない国になる。敵が挑発しても戦う能力がなければ「戦争」は勃発しない。
今日、この国で生きている大韓民国国民にやってくるかもしれない「いくら悪い平和」に該当する事件があるとすれば「大韓民国が平和裏に朝鮮民主主義人民共和国に編入」されることだろう。そういう日が来ても、われわれは戦争をしてはいけないということか。
北韓が平和裏に韓国を接収して、韓半島の統一国家の名が朝鮮民主主義人民共和国になってもいいというのか。
平和とは自由と幸福を謳歌する状況をいうものであって、恐ろしい敵の前で身を震わせながら卑屈に頭を下げ、殴られることだけを避ける状況を意味しない。1910年、日本と戦争せず日本に併合されたのは「平和的」な歴史か。
韓国はいつから、どうしてこのような臆病者、卑怯者の国になったのか。ベトナム戦争に参戦したわが国軍の勇猛さは世界を驚かせた。米国人は韓国軍の勇猛さを見て「イスラエルが東洋にもう一国ある」と感心した。李承晩の在任中、大韓民国の国民は分断されたまま休戦するより、戦争を続けるべきだと絶叫した。高句麗はどうだったのか。当時の超強大国の中国(唐)に立ち向かって堂々と戦争をした国だ。「いくら悪い平和でも戦争よりはましだ」と思うのではなく、高句麗は自分より数十倍も大きい中国に堂々と立ち向かって戦争をした。ベトナム戦争時の大韓民国国軍、そして高句麗人の気迫が、正常な大韓民国国民の血の中に流れている。それは戦争狂の血ではなく正義派の血なのだ。
今大韓民国は、国の格にふさわしい堂々たる戦争観・平和観を持つ時がきた。北韓に対して堂々としただけで緊張が高まり、戦争が起きるという卑怯さをもう捨てよう。北韓に堂々としても保たれるのが真の平和だ。有名な戦争研究家のマイケル・ハワード教授は「戦争は必要悪だ。だが、戦争を放棄した者は、放棄しなかった者の手中に自分の運命が握られていることを発見するだろう」と述べた。
そのためには、われわれはいい指導者を持たなければならない。統一強大国建設という、われわれのやり方次第によってはすぐ目の前にまできているかもしれない目標を達成する大統領が必要だ。李承晩と朴正熙を冷戦時代の指導者、あるいは旧世界の指導者と見る人々は多い。韓半島がいまだ冷戦状態から少しも脱していないという事実を知らない者たちの過小評価だ。
今日、われわれが李承晩と朴正熙のリーダーシップを再び必要としている理由は、彼らのような人物こそが韓半島の冷戦を永久的に終わらせる最後の指導者であると信じているからだ。
大韓民国は今年、建国71年になる共和国だ。長い歴史から見れば71歳の国は若い国だ。だが、この韓国は、韓半島に歴史上存在したどの国よりも成功した、すばらしい国だ。実際に韓国は、非ヨーロッパ文明圏の中では産業化と自由民主化をともに成し遂げた史上唯一の国だ。
共和制の韓国には71年間で12人の大統領が在任した。だが、李承晩と朴正熙は時間が経ち、歴史が重なるほどより輝くだろう。2人の大統領に並ぶ大統領はおそらく未来の統一大統領、つまり建国革命を完結する大統領になるはずだ。
(おわり)