【特集 韓国教育財団】奨学金受給生に聞く

過去から未来へのメッセージ 新たな時代をどう作るか
日付: 2019年08月15日 00時00分

 現在、韓国教育財団の奨学金受給生は9600人以上におよび、世界各国でさまざまな分野で幅広い活躍をしている。かつて奨学金を受けた2人に、当時の状況や奨学金の使い道、現在の活動状況、そして今後、韓日間でどのような活動に携わっていきたいかなどを聞いた。

◆「奨学金のおかげで夢叶えるチャンス」―金武偉

金武偉氏(ミッション・キャピタルマネージングパートナー)
 金武偉氏(39)は2005年に、韓国教育財団からボストン大学のロースクール進学の際に碧夆奨学金の給付を受けた。
「幼い頃から父に、”日本に閉じ籠らず、祖国韓国の役にたつ立派な韓国国民になるように”と言われてきた。そのためか私は外交官になるという夢を抱くようになったが、外交官になるためには英語を流ちょうに話せないといけないと考えた。英語をを自由に駆使できるようになるには渡米を大学まで待てない、と思い米国の高校に進学した。米国では、政治や外交に志を持つ若者はロースクールを履修するケースが多い。私も大学卒業後、ロースクール入学の準備を始めた。しかし、資金が足りず、いったん日本に戻り外資系証券会社で働いた。それでも必要な資金まで一部不足しており資金がためられず、その時、韓国教育財団の存在を知り、奨学金を申請することになった」
金氏は、奨学金をもらった当時を振り返る。
「奨学金の受 給式があったとき、思わず泣いてしまいました。長い間抱いていた外交官になるという夢を叶えるためにアメリカまで行ったが、資金が足りなくて日本に戻り、稼ぎはよくても自分に志のない仕事を繰り返している毎日だった。それが韓国教育財団のおかげで夢を叶える機会を得ることになった。感動して、自然と涙があふれ出た」
金氏は、今後は寄付などを通して、少しでも韓国教育財団の力になっていきたいと述べた。
「当時の縁もあって、今も財団の方々と親しくさせていただいている。今後は、私が財団から受けた恩を、財団に返し後輩たちを助けたいと思っている。能力や向学心があるにも関わらず、お金の問題でやりたい勉強ができず、夢を放棄せざるを得ない後輩の力に、少しでもなりたいと以前から考えていた」
韓国教育財団の徐東湖理事長との忘れられない思い出も語ってくれた。
「ロースクールに在学中、日本に一時帰国したときに、奨学金受給生たちが集まる食事会があった。その時、徐東湖理事長ともお会いすることになった。当時、私は奨学金を受けていたが、高額な学費がかなりの前払い制であった関係で資金繰りに困窮していた状況だった。それで教育財団の方に、3年分の奨学金をまとめて受けとることができるかを問い合わせていた。当然、財団からは不可という答えが返ってきた。その日、食事会を済ませて帰ろうとしているときに、徐理事長から”何か助けが必要なら遠慮なく私個人に連絡をしてきなさい”との言葉をいただいた。幸いにも徐理事長や教育財団にご迷惑をかけずに金銭問題は解決したが、親族でもない他人に、これだけ寛大な心をもって接してくれる徐理事長に感動した。”私も将来、徐理事長のような人間になれるよう努力したい”と思った」
金氏は奨学金を受給する際、徐理事長から聞いた言葉にもとても感銘を受けたという。
「”奨学金の返済や大韓民国のために努力しろ、などの期待はしていない。ただ、お金の問題でできなかった勉強を一生懸命やればいい”と。その時、逆に返済義務がない韓国教育財団の奨学金の重さを感じた。しかし、それは私にとっては健全なプレッシャーで、モチベーションにもなった。財団の奨学金を受けた以上、これから恥ずかしくない人生を生きなければと決意した」

◆「同胞社会への貢献 教育通して恩返し」―鄭賢俊

鄭賢俊(pluto共同設立者)
 鄭賢俊氏(28)は2017年に、韓国教育財団からハーバード大学の国際教育政策課程履修の際に碧夆奨学金の給付を受けた。
「生まれも育ちも日本の在日2世だが、韓国に対しては特別な思いも持たずに成長してきた。中学3年生のとき、韓流ブームが始まった。
周りから、韓国に関する話を耳する際に韓国人としてのアイデンティティに疑問を抱くようになり、そこから韓国語を学び、韓国の文化に興味を持った。
米国スタンフォード大学に進学し、その後ハーバードの大学院へ進もうと考えていた。
家庭がそれほど裕福ではなく、中高の時も学費を分割して支払うような経済環境だった。大学院の国際教育政策課程への進学を決めたが、大学院の学費どころか大学の授業料のローンさえ返済していない状況で、教育業界で働きながら借金を返済していた。
大学院の学費を工面するために奔走したが、日本でもアメリカでも借りることはできなかった。そこで奨学金を探したが、韓日米とも自国民ということが条件で、韓国の場合も、韓国の高校を卒業した学生を対象にしたものがほとんどだった。
”私は在日韓国人として生まれ、間違った人生を歩んできたのか”とまで思うくらいに悩んだ。そんなときに韓国教育財団の存在を知った」
鄭氏は、財団との出会いが在日韓国人としてのアイデンティティをもう一度、考え直すきっかけになったという。
「私のような境遇の人のための奨学制度だと思い、親しみを感じた。面接の際の質問が、今でも忘れられない。”卒業してから今の在日同胞社会や、次の世代の在日僑胞のために何ができると思うか”という問いで、胸の中に残った。今でも、日本で生まれ、日本で育った韓国人というアイデンティティを持つ私が在日同胞社会のために何ができるかと自問自答している。これからも考え続けようと思っている」
鄭氏はこの時の経験が、自身の人生の方向性を決めたと語った。
「現在、大学関連の資料閲覧を共有するためのシステム作りの研究をしている。何かを学ぶときに、なるべく多くの人が費用をかけずに学べる環境を実現したい。今後は、韓国教育財団のように教育のためのコミュニティを作り、学生たちの学費負担が少しでも軽くなるような、組織やシステムを作っていければと思っている」

関連=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86363&thread=08


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