海を渡った先人達<15> 先人4人目 神功皇后③

日付: 2019年07月24日 00時00分

 新羅本紀の王統によると、初代王は「赫居世」(在位BC57―AD4)とされ、朴姓です。その後、昔姓―朴姓―昔姓―金姓―昔姓と続きます。しかし「訖解王」(在位310―356)で昔姓は途絶え、その後、奈勿王(在位356~402)から孝恭王(在位897~912)まで金姓の王が続くことになります。
韓国では「朴」や「金」はありふれた姓ですが、「昔」という姓の人と個人的に今まで出会ったことがなかったので、不思議に思っていました。神功皇后は、韓国では珍しい昔氏のようです。
「昔脱解」は、新羅本紀によると倭国の東北一千里にある「多婆那国」で生まれたとされています。多婆那国の「タバナ」から、山陰地方の丹波国・但馬国、そして紀元前1世紀頃にインドに成立したサータバーハナ朝がイメージされます。この王朝はドラビダ系の人々の集団で、ローマ帝国や東南アジア方面と盛んに海上交易を行い、西暦1世紀頃までには中央インド随一の大国に成長したとされています。このサータバーハナ朝の人々が海を渡って、山陰地方に多婆那国を建てた可能性はあるのでしょうか。
山陰・北陸・吉備地方などでは「四隅突出型墳丘墓」と呼ばれる特異な形の墓が、紀元前100年頃から古墳時代直前にかけて、およそ90基ほど確認されています。方形の墳丘墓で四隅に亀の手足のような突き出しが付いていますす。この墓制の源流がどこにあるのか、現在のところ解明されていないようです。
また、出雲地域の「荒神谷遺跡」や「賀茂岩倉遺跡」などから、紀元前後頃~2世紀半ば頃のものとみられる358本もの銅剣・45個の銅鐸・16本の銅矛が出土しています。出雲は、スサノオ尊が、追放後逃れて来て、八岐大蛇を退治したという神話の地ですが、その時に得たという天叢雲剣(後に草薙剣と称される)に注目しています。
日本書紀の神代に、スサノオ尊が「これは不思議な剣である。どうして私物にできようか」と言って、アマテラスオオミカミに献上したと記されています。スサノオ尊が高句麗王の憂位居であろうとすでに述べていますが、高句麗王から見ても不思議な剣と言わせるほど、見たこともない剣だったようです。
このことから、現在のインドネシアのクリス剣が思い浮かびます。鉄やニッケルなどとの合金の鍛錬(熱した金属を何度も打ち叩くことによって強くすること)の結果、細かい波状の模様が全面を覆っている不思議な剣ですが、幸運と悪運の両面を持つ霊的な存在と考えられています。おそらく、天叢雲剣の表面にもこのような模様が表れていたのかもしれません。
このクリス剣は、「有樋式銅戈」の形に良く似ています。有樋式銅戈とは、韓国の慶州一帯で集中的に出土した、文様を持つ特異な形をした銅戈で紀元前3世紀以降のものです。その特異な形のルーツを求めるとすれば、紀元前10世紀頃のタイの「バンチェン遺跡」出土の銅剣や、紀元前15世紀以降のインドのガンジス川流域から出土した銅剣にたどり着くのでは、と考えています。


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