ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~13 ある日の悪い予感の始まり

日付: 2019年07月18日 00時00分

たんぽぽ


少しだけれど好きなガヤグムが弾けて、その上、家より美味しい昼食が食べられるので、保育院に行くのが楽しくなった。今でも北朝鮮当局が一番大事にする歌の一つであり、北朝鮮の子供が一番初めに学ぶ歌『世の中に羨ましいものなどないよ!』を熱心に歌った。その歌詞の意味を疑うこともなく小学校、中学校まで熱唱した。
「空は蒼く 我が心は楽しい アコーディオンの音を響かせて 人々が睦まじく暮らしている 我が祖国が限りなく好きよ 我々の父は金日成元帥様 我々の家は党の懐 我々はみんな実の兄弟 世の中に羨ましいものなどないよ」
この歌は保育院に入ってから死ぬまで、北朝鮮の人々が聴きそして歌う思想教育の定番曲だ。2016年5月6日、朝鮮労働党7次党大会開幕の日にこの歌は「金日成賞・金正日賞」を授与された。
全国の保育院や幼稚園の建物には正面に必ず、この歌の題名が大きく刻まれている。海外からの訪問団に、北朝鮮の子どもたちがこの歌を必ず歌って自国宣伝に利用している。
4歳児の脳に初めて入った北朝鮮の洗脳教育歌は、未だに歌詞も旋律も何ひとつ間違うことなく覚えている。その意味が全部真っ赤な嘘であることを確実に知った17歳から一切、この歌を歌っていないのにもかかわらずだ。
北朝鮮の子どもたちに対する洗脳教育の異常な執着が伺える。残忍な金氏一族の下で今も洗脳されている子どもたちを思うと、自分の無力さと世の中の正義勝利論に虚しさを感じる時がある。
とはいえ、これは後日のことで、当時はこの歌もガヤグムを弾ける時に自分で音を探して弾いていた。担任の先生は私がガヤグムを弾くのを見た後から、時間があると私に楽譜を教えてくれるようになった。
そんなある日、ガヤグム組の子が引っ越してその子の代わりに担任先生が私を推薦した。父の親友の一言もあって私は音楽班に入ることになった。音楽班の子どもたちがどのように練習していたかを見て知っていた私は、嫌な気持ちとガヤグムを自由に弾ける嬉しさとが半々という感じだった。音楽班で毎日練習した。
父の病院の面会に行ったとき、音楽班に入ったと話すと父が喜んで笑った。その笑顔を見て、父の好きな私の歌をガヤグムと一緒に弾きながら聴かせようと決心し、熱心に練習した。
家でも兄の宿題の邪魔をやめて楽譜を覚えたり、家にはガヤグムがないのでドレミの位置を頭の中で覚えたりしていた。個別練習をしてもまだ上手く弾けない中、ある日院長先生が音楽班の練習ホールに来て、私をガヤグム組と一緒に練習させるように指示して帰った。
ガヤグム担当の先生は細い木の教鞭棒をいつも持っていて、弾き間違えるとその手を叩くのだった。痛かった。涙が出るけど、もっと叱られるから必死に堪えるのが私たちのルールになっていて、休憩時間に慰め合っていた。ガヤグム組は担当の先生を怒らせないために、間違ってる部分をお互いに教えあっていた。
特に公演などがないときは6時に練習が終わり、みんなそれぞれ家に帰った。私は早く帰っても家に誰もいないし鍵もないので家に入れない。そこで週に何日かは、ホールで練習したりまだ残っている子と遊んだりしていた。音楽班は先生たちが厳しいせいか、子ども同士は仲が良かった。その日も私はドアの方に背を向けて座り、3人で楽しく遊んでいた。
その時、急に誰かが後ろから私を力強く押しのけた。左へ倒れたままで見上げたら、私の右にいた子を抱いている大人がいる。怖い声で「あっちへ行け、なぜうちの子と遊んでいるの」と叫び私を睨んだ。
びっくりして、その人の声と私を睨みつける目が怖くて倒れたまま動けなくなっていた。一瞬「あの子のママなんだ」と考えた。もう一人の子に対しても、そのママが「あの子と遊んじゃダメよ」と言いながら練習ホールから連れていってしまった。
一人になって、とりあえず怖い時は過ぎたと判断して姿勢を直した。何が起こったかまったく理解できないまま、帰り支度をして家に帰った。ショックを受けたせいか、私の動作はゆっくりと、スローモーションのようにとてもゆっくりだった。  (つづく)


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