ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~10 保育院での「カヤグム」との出会い

「北送事業」60周年を迎えて
日付: 2019年06月05日 00時00分

たんぽぽ


保育院の生活は内実がどうであれ、最初のうちはあまり変化がなく、漫然と週6日が流れていった。
母が仕事で家に帰ってくるのが遅いため、私は家の鍵を持っている人民学校(小学校)に通っている姉と兄が学校の用事を済ませて帰る時間まで保育院にいた。二人が帰るのは早くて夕方の5時で、遅い時は夜7時くらいになることもあった。
その時間まで私は、音楽班が練習しているホールで待っていた。音楽班の子どもたちは、午後3時以降に練習ホールに集まってくる。45分間練習しては10分休憩して、その後5時になると配られる少しのお菓子を食べて、また練習していた。
3時に帰れない音楽班以外の子どもたちは、ほとんどが警備員室で待っていた。私だけが音楽班の子どもたちと一緒にいた。
後日、なぜ音楽班の子どもたちがいるホールで待つようになったのか、理由がわかった。私をこの保育院に入れてくれた父の友人は、私が住んでいた町の商業部長だった。その傘下に「託児幼稚園供給所」というものがあって、そこに私が通えるように特別に頼んでくれたということだった。
当時、そのことを知らない私は少し疑問に思っていたが、先生の指示通り音楽班が練習しているホールの隅の床に静かに座って、練習風景を見ていた。
夕方のおやつは私も音楽班の子たちと同じくもらった。音楽班の子たちは練習が5時に終わったときは、そのお菓子を家に持ち帰ったりしていた。私も5時に帰るときは同じようにした。
普段、家にはお菓子があまりなかったので、それを兄妹にあげられることがすごく嬉しかった。5時に家に帰っても誰もいないときは、ドアの前で待っていた。冬は寒くて大変だった。
そんな日々を送っていたある日、音楽班の子どもたちは公演の衣装を作りに行っていた。誰もいなかったので私は、朝鮮半島の伝統楽器である「ガヤグム」を弾いてみた。
ギター、バイオリン、チェロなど様々な楽器があったが、私はいつも座っていた場所から一番近いところで練習していたガヤグムの音が好きだった。それに、他の楽器には書いていない音の位置が弦の下の木板の部分に貼られていたし、練習しているところを何度も見ていたので、もしかしたら弾けるかもしれないと思ったのだ。
誰もいない練習用ホールで私は、先生が教えていたガヤグムの置き方、左手の弦の押し方、右手の弦の弾き方などを思い出しながら重い楽器と奮闘していた。
そうこうしているうちに、おかしな音ではあったが音が出るようになった。しばらくすると「ドレミ」の音が出せるようになった。
子ども用のガヤグムは15弦で、木板と弦の間に指示木というものがあって、弦の張り具合と指示木の位置で音を調律するようになっている。左手の人差し指と中指で弦を押し、右手は小指以外の四つの指で弦を弾きながら弾く。両手の指先を使うため、慣れるまではすごく痛い。
痛いことは痛いけれど、ガヤグムを弾くことが不思議と嬉しかった。こうして私は、このガヤグムが作り出す神秘の世界にどんどんはまっていった。
ほんの少しでも触れる機会があればガヤグムに触って、弾いていた。北朝鮮では、落ちついた音を出すガヤグムは他の楽器より宣伝活動によく使われていた。
けれども、このガヤグムと出会った嬉しさも長くは続かなかった。
(つづく)


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