ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~9 「革命歴史研究室」の洗脳教育

日付: 2019年05月22日 00時00分

たんぽぽ

 保育院の1日は、おおむね次のように過ぎていった。
朝9時からはじまって午前中は40分授業が三つ、昼食1時間ぐらい、その後2時間の昼寝をしてから家に帰る子は帰って、音楽班に属している子は各自の練習室にいく。家に帰っても誰もいない子は、家の人が迎えに来るまで当直室兼警備室で遊ぶ。
こんな日々の繰り返しだが、国の祝日芸術公演などが予定されると、音楽班の子たちは朝8時から夜8時ぐらいまで猛練習させられる。公演が近づいてくると深夜までおよぶことがある。
それでも練習がうまくいかない時には、保育院に寝泊まりしながら練習した。今、北朝鮮TVの音楽プロになっていたりマスゲームに出ている子どもたちは、このように厳しい練習を受けて出演している。まさに児童虐待といえる現場だ。
朝行われる三つの授業のうち、一つは必ず金日成の革命歴史の中で幼い頃の歴史を学ぶ「金日成元帥さま幼い頃の物語」という授業なのだが、保育院の「金日成元帥さま革命歴史研究室」という部屋で学ぶ。
北朝鮮には全国すべての保育院から大学、工場、農場、病院など企業・団体組織にいたるまで、必ず「金日成革命歴史研究室」があり、一番立派に造られている。
その部屋に入る時には、先生が身だしなみをチェックする。暑い夏でも靴下を履かないと入れないし、一列で静かに入ってから私語禁止、中にある模型などは決して触れてはいけない。初めて入った時から、この部屋で先生の指示通り行動しないと何か恐ろしい目に遭うだろうということは、特に注意されたわけではないのに、4歳の私だけではなくみんなが察していた。そのため、ヤンチャな子も研究室の中にいる時には大人しくしていた。
研究室の模型はすごく大きくて、ドア二つ分ほどの面積をガラスで囲んでいて、中に河川、山など金日成の生家の周辺を再現していた。金日成が遊んだという「将軍岩」など木1本1本まで本物そっくりによく作られていた。木や、ブランコなどが小さくて可愛いので、部屋に入る度に触りたいけど触っちゃダメなのでじっと見ていた。その模型と全く同じものが全国の保育院と幼稚園にあった。それがすばらしい出来であることは、18歳で金日成の生家を初めて見たときに実感した。
ノートも鉛筆も質が悪く勉強のとき苦労していて、日本から来た家の子が持っている日本製の鉛筆、消しゴムをみんな羨ましがっていた。一回使わせてと、その子にせびっている子はクラスの半分以上はいた。
日本から来た家の子は、親が日本から来たというだけでいじめられるが、お金持ちで日本から沢山の荷物を送ってもらっている家の子は、この頃から「金と物の力」を身に付けていた。
日常生活用品など、粗悪で使いものにならない製品が普通である北朝鮮で、金日成とその一家に関係するものだけでなく模型までこんなに立派に作り、しかも全国に設置しているのだ。初めて訪れた「金日成大元帥さま生家革命史跡地」で、参加者全員が忠誠を誓う行事の時には、虚無感で物寂しくなってきた。
この研究室で最初に教えてもらった内容は、金日成の誕生日とその誕生神話だ。同じことを何十回も繰り返して教わって、幼いときは雨なども金日成が降らせるんだと思っていた。
北朝鮮の国民は、自分の誕生日や家族の誕生日などはよく覚えていなくても、たとえ寝ている最中に起こされていきなり金日成と金正日の誕生日を聞かれたとしても、誰もが正確に答えられる。
北朝鮮国民の洗脳は、こうやって幼い頃から確実に出来上がっていく。物事の理解ができる年頃には、すでに人間本来の思考能力の機能は薄れた状態になっている。人間の道理や良心などというものより、金氏一族に対する忠誠心で人間の価値を測る社会、国なのだ。
今考えると真っ赤な嘘である「金氏一族誕生神話」などを、その時はそのまま信じていた。本当に彼らを人間ではなく神的な存在だと思ったし、現在も北朝鮮以外の世界を知らない北朝鮮国民はそう思っているはずだ。特に子どもたちは素直に洗脳され続けている。
(つづく)


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