新生 韓国と日本 10 葛藤の根本的原因(2)

日本を見直し、韓国を再考する
日付: 2019年05月22日 00時00分

崔在羽

 日本の古代史に「建国」という言葉はありません。代わりに「国造り」という言葉が使われています。それは、原住民を征服または殺害して新しく国を建てたのではなく、原住民を指導し服従させながら国を造っていったからだと考えられます。
こうして日本で国造りを始めてから500年後の5世紀には、半島にあった伽耶という国は消滅します。韓半島の4国時代(高句麗、百済、新羅、伽耶)が終わりを告げました。
ところで、新羅が伽耶を征服したというのは間違った見方です。伽耶は漢から得た技術で、新羅や百済よりも発達した鉄の武器を持っていました。新羅より強かったはずですし、新羅の都である慶州近くまで進出していましたから、新羅に征服されるはずはありません。
伽耶人が渡日する過程では、新羅や百済、高句麗、満州や大陸(中国)の人たちもいました。これはただ日本が住み良いという理由だけでなく、いわゆる政治亡命もありました。軍人や政治家、技術者などが渡ってきたというわけです。
このように古代における日本の上流社会は新羅系、百済系、高句麗系などに分派された韓国人によって形成されていきました。古代史はこれらの勢力争いの記録ですが、この中で最後に勝ち残ったのが天皇家なのです。
『古事記』と『日本書紀』を書いた人は半島人だとみなされます。『古事記』は新羅系の人が書き、『日本書紀』は百済系の人が書いたとみる学者もいます。
書いた人たちはもともと半島人ですが倭の国民に成りきっていましたし、自分たちの国が半島人によって造られたとは書きたくなかったでしょう。そこで、天から現れた神様が造ったとしました。神様の数がやたら増えたのも、神代が300年以上の長きに渡ることになったのも、そういった事情と考えられます。
世界的に始祖が神様だったという国は多いのですが、それを神話で片付けているのが一般的です。日本ではその神々を信仰し、宗教の次元に高めていき、これを国力の基にしました。日本の国家主義の特徴です。
神様の中で最も偉い天照大神(古事記では天照大御神)が新羅の神女だったのは確かなことです。天照大神は三種の神器を瓊瓊杵尊に授けて「高天原から地上に降りて国造りをせよ」と命じました。しかし当時の倭には鉄文化がありませんから、新羅から持ってきたに違いありません。その証拠に、三種の神器は慶州(新羅の都)の博物館に収められているものとそっくりです。
さらに、高天原から降りる途中で瓊瓊杵尊が立ち止まり、西を向いて「ここはカラクニ(韓国)が眺められる聖地だ」と言ったと、古事記にも日本書紀にも書かれています。現代の地図で高天原と信じられている霧島山の隣には韓国岳があり、半島からの渡来人によって国造りが始まったとみて間違いないでしょう。
中国から道教や陰陽学が、インドから仏教が入る前の当時の朝鮮族は、シャーマニズムの祭政一致で、祭りは神女が司っていました。神女は農業、暦学、天文学などにおける深い知識を持ち、尊敬される存在でした。彼女らが倭に渡り、国造りに加勢しただけでなく人々にいろいろなことを教えたのです。韓国に仏教が伝わり、仏教が国教になっていく過程で、神女はシャーマニズムだけを行う巫女に退いたのでした。(つづく)


閉じる