ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~8 国民に犠牲を強いる金父子の誕生祭

「北送事業」60周年を迎えて
日付: 2019年04月24日 00時00分

たんぽぽ


1年半以上音信不通になっている北朝鮮にいる兄弟に、4月15日が誕生日である姉がいる。今年で51歳になる。北朝鮮で金日成と同じ誕生日だと、誰かの誕生日を祝ったり、自身も祝ってもらうことがあまりない。現在もそうしていると思うとため息が出る。
北朝鮮では、金日成と金正日の誕生日と同じ日に生まれた人は、親が出生申告をする際に誕生日を変更するのが暗黙のルールになっている。
金日成と金正日の誕生日は国家的祝日である。彼らに忠誠を誓う行事がたくさん行われる中で、個人の誕生祝いはもちろん、結婚式をあげるなどは考えられない。その日は金日成と金正日だけを祝わなければならないというのが北朝鮮の常識だ。
1974年1月13日の全国農業大会で、金日成が「冠婚葬祭を大々的に行うのは社会主義国家の毒になるので質素にするように」と言ったため、北朝鮮の一般の人々は誕生日を祝うことに罪悪感を覚えている。とはいえ、もともと物資が少ない国なので、家族の誕生日祝いの準備自体が大きな負担であることは否めない。私も、幼いころから誕生日に特別な思い出がない。特に姉の誕生日は心から祝う感じではなかった。4月15日の1カ月前から祝賀準備でみな疲れていて、当日は家族全員で朝早くから夜まで組織的な行事に参加する。この時期、北朝鮮ではまだ肌寒い天候だが、コートを着ることは許されない。祝賀行事が終わって家に帰るとみんな疲れてクタクタになっていて、姉の誕生日を祝う気力もなく、とにかく早く休みたいと願うだけだった。
大事な誕生日が金日成と同じ日だという理由で、現在まで誕生日でさえ心地よく過ごせないまま50歳を過ぎた姉だ。金日成という悪人のせいで姉の誕生日が失われたことを思うと、悲しさで何も言えない。ところがその4月15日は、私をも苦しめるようになってきた。私が入った保育院は院長先生が芸術活動にとても力を入れていて、子どもたちへの訓練の様子は、見ているだけで辛くなってくるものだった。
配給所の職員が不正を働かないと生きていけず、不正をしない人がバカにされ、不正を罰する法が全く機能しないのが北朝鮮だ。このような社会の仕組みについて考えるにはまだ幼かった私は、「白ご飯を食べさせてくださる金日成に忠誠を誓わないといけない」という先生方の言葉を真に受けていた。とにかく先生たちの言う通りにさえすれば、忠誠心に問題がないのだと思っていたのだ。
親が週5日、朝から晩まで働いても、金日成と金正日の誕生日など国の大きな祝日に行われる「忠誠の生産増進運動」で休みなく徹夜で仕事をしても、子どもにまともな食事や服を与えられない―そんな不条理を真剣に考えたりしない幼いうちに、洗脳教育は終わってしまう。
子どもたちは家庭よりいい食事ができるので、先生たちの言うがままに、自分の両親より金日成と金正日を「敬愛する父」と呼ぶようになる。それが保育院や幼稚園で毎日、朝から帰るときまで聞かされるのだ。当たり前のように金日成と金正日をありがたく思うようになり、私たちに親よりいい食事をくれるんだから彼らに忠誠を尽くさないと、と思う。小学校から始まる「忠誠のチビっ子計画運動」という名で行われる搾取に気付かず、忠誠心競争の渦にみんな自然に巻き込まれてしまう。
人々は真面目に仕事をしても、豊かな生活を手に入れることができない。金日成と金正日に特別な忠誠を尽くす人にだけプレゼントをあげて、「いい生活がしたければ、その人みたいに忠誠を尽くせ」と皆に見せつける。これらを国家戦略として取っている北朝鮮で、保育院から私の社会進出が始まった。
75年、朝鮮労働党の創立記念30周年に向けて、前年から保育院をはじめ北朝鮮社会全体がその準備に取りかかった。普通は1カ月前から準備するが、節目の年(5周年、10周年など)には、長くて3年前から、短くて1年前から準備する。ところが毎年何らかの節目の年に当たっていて、国民はくたくたに疲れてしまう。こうやって、物事をゆっくり深く考えさせないようにするのが、北朝鮮建国の時から取っている国家戦略なのである。
(つづく)


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