大韓民国の建国史(148)朴正煕の訪米を契機に韓・米・日三角同盟が始動

日付: 2019年04月03日 00時00分

 朴議長は池田総理の話を完璧に理解したため、鄭一永代表が通訳する間に答える時間を十分に持っていた。朴議長は自分の発言をあらかじめ準備し、鄭代表に「……こう答えればいいか」とか「……この表現が正しいか」と相談しながら、池田総理に正確な真意が伝わるようにした。鄭代表が池田総理に日本語で通訳するとき適切でない表現があれば、朴議長は「それはこう表現するのが良いのではないか」と直した。この首脳会談を、鄭一永はこう回顧した。
「朴議長は途方もない責任を感じていたようでした。初めから非常に落ち着いて話を始めました。意図的に過去事を取り上げることもありませんでした。静かに話しました。そうしながらも、語彙の選択は非常に慎重で、主張すべきときは、飾りのない言葉で単刀直入に表現しました」
首脳会談は1時間20分間続いた。朴正煕議長は鄭一永代表に「この程度にしよう。有益だったと伝えなさい」と締め括った。
この日の会談の内容は、2日後の11月14日、米国に到着した朴議長が米国務長官のディーン・ラスクに会ったとき、朴議長の専属副官の韓相国中領(中佐)の通訳で伝えられた。朴正煕議長が述べた池田総理との会談内容は、米国で機密文書に分類された。1996年、公開されたその内容だ。
<韓日関係の正常化は極東の平和と安全のため切実に必要だというのが私と政府の幹部たちの一致した意見だが、韓国民の世論もそうとは言えない。国民感情を満足させるためには、両国関係の正常化の前にいくつかの懸案問題が解決されねばならない。この点については池田総理との秘密単独会談で率直な意見を交換した。
両国の外交関係を一日も早く正常化せねばならないことに対して私と池田総理は意見が一致したが、そのためには解決すべきいくつかの問題が残っている。実務レベルで行政的、技術的に細部問題が解決されねばならない。
その後に韓国と日本の間の経済的関係は考慮し得る。事実、多くの韓国民は、特に過去の歴史から、関係が正常化されたときにあり得る、日本の経済的侵略に対して懸念を表明している。(韓国)政府としては、日本との関係正常化については慎重を期している>
朴議長一行が乗った米軍用機は61年11月13日の午後4時、ワシントン・ナショナル空港の軍用ターミナルに到着した。陸軍儀仗隊のトランペットが国賓の到着を知らせる中、朴議長が降りるや背の高いリンドン・B・ジョンソン副大統領が近づいて握手を求めた。朴正熙が師団長のとき、国連軍司令官だったライマン・L・レムニチャー大将は合同参謀議長だった。彼は5月16日、マグルーダー国連軍司令官が朴正煕少将に対する強硬鎮圧姿勢を取ったとき、これを和らげようとした。彼も朴正煕議長を温かく迎えた。ジョンソン副大統領の歓迎辞と朴正煕議長の答辞が交わされた。朴議長は答辞を終え車に向かう途中、儀仗隊の後の柵の外で太極旗を振って歓迎する在米同胞たちの方へ歩きフェンスを挟んで握手した。
朴議長は副官、警護官、主治医と共にマキルテラス2838番地の駐米韓国大使官邸に泊まり、残りの随行員たちは隣接したショアハムホテルに滞在した。朴議長はこの日の午後は、公式行事がないため大使官邸で、5・16革命主体勢力である陸士8期出身の金東煥参事官からワシントンの日程全体に対し報告を聞いた。そして、丁一権大使が主催した晩餐会に随行員たちと一緒に臨んだ。(つづく)


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