ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~6 食事前に金日成の肖像画に敬礼

日付: 2019年03月27日 00時00分

たんぽぽ


2時間目の授業が始まったころから、教室の中に昆布スープ独特の美味しそうな匂いが漂ってきた。北朝鮮の東海岸の海辺では、波打ち際に打ち上げられた昆布が沢山あって、ワカメより昆布が一般的だ。干しワカメより干し昆布のほうが新鮮で安い。
北朝鮮では出産した母親に、血を奇麗にしてくれるということでワカメスープを少なくとも10日間は食べさせる。しかし値段が高くて、良い干しワカメを購入するのはたいへん難しかった。
中学生である14歳の頃、なぜ昆布が定番なのか理解できた。昆布を海辺の砂場に広げておき、一日に2~3回ひっくり返しながら数日経つと干し昆布ができあがる。
一方、ワカメは砂場で干すと砂がくっついてしまい、昆布のように手で砂を払い落とすことができない。そのため木で洗濯物干しのようなものを作って、空気が通るように並べて干さなければならない。これは手間がかかる上に、ダメになった木を替えるのにも木材を購入しなければならないし、長い停電で加工もままならない。
作業担当が「ワカメ干し」になるとみんな嫌がった。なかでも、金日成と高位にいる幹部たちが食する干しワカメと昆布を担当している8号作業班と9号作業班の苦労は、大変なものだったと聞く。
北朝鮮では、「8号製品」というと金日成とその一族、金日成が選んだ何人かのトップたちとその家族が使う全てのものを指し、「9号製品」はその下から朝鮮中央労働党に勤務している人たちが使うものを指す。「8号製品」として生産したが、検閲で不合格になったものが「9号製品」となるのである。
どちらにしても、何をどんな方法で生産しているのか、検査の基準は何かなど全てが極秘だ。農村をはじめ各分野で「8号製品」を生産する作業班を「8号作業班」といい、同じように「9号製品」を扱う作業班を「9号作業班」という。作業班に属している人以外は、その仕事場に近付いてはいけない決まりになっていた。
1995年以後、極度の経済難を北朝鮮当局が「苦難の行軍」と呼び、国民に我慢を強いていた時期に、盗んだ9号製品を売っていた店から梨と干しイカを買って食べたことがある。その完成度と美味しさに、わが国でもこんなに素晴らしいものを作れるのかと思わず目を丸くしたものだ。
保育院の話に戻そう。授業終わりのベルが鳴ってトイレに行くため教室を出ると、保育院の中に美味しそうな匂いが満ちていた。この匂いをいっぱい吸いながらトイレから戻ると、みんなは先生の後ろに背の順に一列に並んでいた。先生が私を7番目に立たせ、「これから一列に並ぶ時はここがおまえの場所だよ」と言った。そして先生の後ろに付いて一列のまま廊下の壁に沿って「台所」に行くと、大きな部屋に8人が囲む丸い食卓がいくつか置いてあった。
あとで数えて知ったのだが、食卓は7個あった。三つのクラスの子どもたちが食卓に静かに座ると、院長先生が入ってきた。みんなは、静かに慣れた様子で院長先生に向かって立った。院長先生は私たちに背中を向け、食堂の金日成の肖像画に向かって直立して顎を上げ、その肖像画を見つめた。私はそんな院長先生の行動をただ眺めていたら、担任の先生が来て私の顎を上げた。上げられたまま横目でほかの子たちを見ると、みんなが顎を上げて院長先生と同じく金日成の肖像画を見つめていた。美味しい匂いに似つかわしくない重い空気が漂った。
次の瞬間、院長先生がいきなり大声で「敬愛する父、金日成元帥様ありがとうございます」と叫び、腰を曲げ敬礼をした。突然のことにびっくりしていると、その部屋にいる先生と子どもたち全員が、院長先生を真似して同じ言葉を叫んで腰を曲げ敬礼をした。
驚いた私は声を出すことができず、あわてて腰だけ曲げた。腰を伸ばして前を見ると、院長先生が私たち全員を右から左へと見ていた。私たちに軽く会釈をしたあと、挨拶をして食堂から出ていった。それからみんな静かに着席し、昼食を食べ始めた。体が硬くなっていた。一瞬で美味しい匂いが消えて、朝から緊張していたせいか、気持ちが悪くなってしまった。 (つづく)


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