ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~2 

帰国事業で来た人は低い「動揺階層」に
日付: 2019年01月30日 00時00分

たんぽぽ


北朝鮮という国の理解のために、まず北朝鮮社会の身分制度について説明したいと思う。北朝鮮の全ての国民は生まれながらにして、当局から「出身成分」という身分を与えられる。それは三つの階層に分けられているが、そのいずれに属しているかにより当局の扱いがまったく異なる。
階層は上から「核心階層」「動揺階層」「敵対階層」となる。
「敵対階層」に属しているのは裁判無しで処刑される政治犯とその家族で、制限区域にある政治犯管理所に閉じこめられている。北朝鮮の一般社会で、彼らと出会うことは絶対といっていいほどありえない。「敵対階層」が収容されている場所を除いた北朝鮮が、つまり北朝鮮の一般社会ということなのだ。
その一般社会で差別といじめを受けるのが「動揺階層」だ。この身分の人々はいくら頑張っても大学にも軍隊にも入れない。数多くの社会的な差別を受け、出世などとは縁のない一生を送ることになる。
「動揺階層」はさらに上・中・下と三つのレベルに分けられている。「動揺階層の下」が北朝鮮の一般社会で最も低い身分ということになる。「上」には経済犯とその家族、「中」には越南者(北朝鮮から韓国に行った人)の家族と越北者(朝鮮戦争時に北朝鮮へ捕虜として連れてこられた韓国人)とその家族、「下」には「帰国事業」で北朝鮮に来た人たちとその家族が属している。
「動揺階層」の人々は何ら罪がなくても、常に「一罰百戒」の見せしめ対象になりやすい。一番低い身分である帰国事業で日本からやってきた人たちが、見せしめの最初の犠牲者になる。
高い身分である「核心階層」は社会的差別はなく何でもできて、罪を犯しても罰せられることがほとんどない。
与えられた身分は死ぬまでそのままだし、しかも世襲だ。しかし身分を変える方法が二つあることはある。一つは、沢山の賄賂を贈り北朝鮮の各組織が持っている個人書類の中から自分の書類を高い身分にすり替えてもらう方法。二つ目は、火災などの事故が起きたとき金氏一族の肖像画を、身をていして守って死ぬことだ。そうすれば家族の身分を変えることはできる。
また、身分が変わる場合もある。まず、金氏一族の誰かと一対一の面会をすれば「偉大なる方との接見者」となり、身分が上がる。けれども身分が低い人は、そのような面会の場所に行けるわけがないので、奇跡が起きない限り無理な話だ。
また、自分より低い身分の人と結婚すると、二人合わせて低い身分に変わってしまう。そのため自分より下の身分の人との結婚は本当に稀である。彼らは思想的に疑いを持たれた人たちより、もっと酷い扱いを受ける。そのため帰国事業で北朝鮮に渡った人々のほとんどは、帰還事業で来た者同士としか結婚ができなかった。
悪魔の鎖のような身分制度によって、私は北朝鮮での約38年間を差別といじめに苦しみ、まさに死と隣り合わせで生きてきた。私の家庭環境は、じつは少しばかり変わっている。父は「核心階層」の中でも上層部に属する北朝鮮の人で、母は帰国事業で日本から来た人だ。さきほど述べたように、父は自分より低い身分の母と結婚したため、二人そろって母の身分である「動揺階層・下」に属することとなった。
周りの北朝鮮の人たちは、母が日本から来た人だという理由で私たち家族と話さなかった。日本から来た人たちは、父が北朝鮮の人だからという理由で私たちと距離を置いた。同じアパートで同じ年に生まれて一緒に幼稚園から同じ教育を受けて生活しているのに、周りの大人たちは私を虫みたいに嫌がって自分の子どもと遊ばせないようにした。私と遊ぶと親に叱られるから、親の目が届かない所で一緒に遊んで、家が近づくと離れて別々に帰ろうと言われた。私もその子たちの親に叱られるのでそうした。
はじめのうちは悲しくて涙が出たけれど、いつの間にか慣れてしまうもので、私の方から進んで別れて家に帰るようになった。
私が初めて「大人が怖い」と感じた記憶は4歳のときで、初めて差別を受けたのが6歳。その原因が母にあることを知ったのは10歳のときだった。(つづく)


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