大韓民国の建国史(139)口ばかりで行動力のないインテリを批判した李洛善

日付: 2019年01月30日 00時00分

 知識人たちに比べて、軍人たちの能力は劣らないという李洛善の批判は続く。
〈(インテリが)霊感においての機知や臨機応変の僥倖などを自慢するなら、私たち(軍人)は想定し得るあらゆる状況に備える「主導計画性」を考えて評価し、また熟考してまた評価し直して結論を出す「反復される研究がもたらす完全さ」の習性化をもって対する。問題は、愛国心の色と深度による国家への寄与の多少に差を置くしかない。
これまで軍はたくさん非難されてきたため、軍は非難されることには鍛えられている。問題は、革命政府が軍人主導という理由だけで、特に非難されていることだ。文尊武卑の歴史的思潮という鉄の鎖に支配されて理由もなしに人と軍人を区分区別しようとする。インテリたちが、軍人と民間人が全く異なる天性を持っている者かのように、両者の間に特殊な問題に対する見解が全く違うとして取り扱うことが多かったというのは危険かつ有害な虚偽であるのだ。英語の人民(people)という単語の語源である「populous」という言葉の真の意味は、古代ローマ時代の武裝軍という意味だ。軍を構成する個人は、国民あるいは市民としての基本的な品性を放棄することを意味しない。むしろ、自由と人権という精神に合致するよう武器を行使する方法を学ぶ大学院の課程で教育を受けていることに比肩できるというのは事実だ。ある知識人の叫びを聞いてみよう。自由―それが欲しいなら、その行使に責任を感じる習性を確立しよう。自由―それが欲しいなら、貧困が与える苦痛を連帯的に感じる博愛と同胞愛を確立しよう。革命政府の武威の行使は享受してはならない自由を抑え「享受すべき自由」を保護し助長する場合と範囲に限られ、「必要最小限」を脱しないよう常に気を使っている。
密閉された研究室にも世紀の波動は波及する。インテリたちよ!胸を開き社会と民族、そして国家を受け入れよ。棄兒となった社会、仮にその捨てられる理由が十分あったとしよう。半浮浪者になった社会、乞食と窃盗となった民族、瀕死の重体に陥って今にも死にそうな祖国が旅人に背負われてあなた方の門の前に運ばれた。〉
朴正煕議長を主体とする将校団の最も特異な点は、民間の知識人たちができなかった経済発展を成し遂げたことだ。軍人と人を区別して軍人たちを軽蔑してきた韓国の知識人たちの最大の問題点は、高い批判力にふさわしくないみすぼらしい推進力だと李洛善は攻撃した。文民エリート集団は、自由党や民主党時代に国を経済的に復興させるのに失敗した一方、「無知な」軍人たちは成功した。李洛善は「本当の無知で無能な方は、口ばかりで行動力のないインテリたちだ」と言ったのだ。
革命の直後、商工部長官となった丁來赫少将によれば、赴任してみたら、民間官僚が作っておいた「中小企業金庫案」「石炭開発促進案」など良い計画が机の引き出しで眠っていたという。丁長官は、このような優秀な人材がいるのに、なぜあれだけしか仕事ができなかったのかと思い、その計画書を取り出して実践したという。自由党と民主党時代に経済開発や改革は知らなかったためできなかったのではなく、分かっていたのに政治的決断と支援がなかったためできなかったのだ。つまり、政治と権力の支援がなかったため、可能なことも実践されなかったのだ。軍事革命は、この権力の支援を可能にした。(つづく)


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