大韓民国の建国史(136)朴正煕清算に明け暮れた大韓民国の40年

日付: 2019年01月01日 00時00分

洪熒・本紙論説主幹

 今年は朴正煕大統領死去から40年だ。「大韓民国の建国史」連載の今回は、大韓民国の今の混乱と後退状況の中で、朴正煕のリーダーシップや業績を振り返ってみる。昨年の12月刊行された『朴正煕、そして人々』の序文から、朴正煕大統領記念財団の左承喜理事長の文を紹介する。
<朴正煕死後の40年間、韓国は朴正熙と逆にいけば幸せな先進国になると、朴正熙の否定に没頭してきた。朴正煕時代を継いだ第5共和国の国政運営基調が「正義社会の具現」だったことを覚えている人々は多くないかもしれない。
これは朴正煕時代を正義でない社会と宣言したも同然だ。朴正煕大統領の死後1年も経たず、すでに韓国の政界と知識人社会は朴正煕時代の清算を宣言したわけだ。
振り返ってみると、大韓民国の近代化産業革命を、誰も本当には理解していなかった。ただ、朴正煕一人だけの孤独な革命だった。その後、いわゆる「民主化時代」の国政基調も盧泰愚政権の「普通の人々の時代」、金泳三政権の「新韓国の創造」、金大中政権の「国民の政府」、盧武鉉政権の「参与政府」など結局、いろいろな意味で朴正煕時代を脱皮すべきという強迫観念が支配した時代だったことを示している。今、最後の努力が払われている。現在の政権は、まるで「反共と経済建設を国是とした朴正煕時代を逆に」を国政の基調としているように見られる。甚だしくは、いわゆる右派政党という自由韓国党も朴正熙の「国家主義」を清算すると言い、朴正煕清算の最後の弔鐘を打っている。
では一体、朴正煕時代とは何なのか。過去40年間、ひたすら清算ばかりを言ってきた。大部分の政治学者、政界、言論界はもちろん、経済学界まで口を開けば、独裁・不均衡・貧富の格差・財閥経済・経済力の集中・経済自由の侵害、さらに過度な政府の介入による資源配分の歪曲、そして今は、朴正熙は国家主義の化身という烙印など、政治、経済、社会問題の何一つまともにやっていないと指摘する。このような主張は、KDIなど国策研究機関の公式文書でもよく見られる。この主張が正しいなら、韓国経済は朴正煕時代に没落すべきだった。だが、世界はその時代を異口同音で漢江の奇跡と呼ぶ。これは、韓国の知識人社会が今までほとんど全く現実とかけ離れた神話のような主張をし、韓国が成し遂げた世界史的成功を蔑視し、否定したことを物語る。
こういうことが過去40年近く、韓国社会を風靡した。つまり、その時代に対する研究や理解が深くなかったのだ。
しかし、世界銀行が発行した『東アジアの奇跡(The East Asian Miracle)』(1993年)は、朴正煕時代が世界最高の同伴成長を成したことを明確にした。1965~89年の間、年平均8%を超える高成長に良好な所得分配で人類歴史上、最高の同伴成長を示現したという。不思議なことが起こったのだ。既に滅びるべきだった朴正煕時代が、世界最高の同伴成長と現在の政権が望む最高の包容的成長をしたとは。
さらに、同氏の死後40年、朴正煕の逆を目指してきた今日の韓国は、政治の混乱、社会的分裂、無敵の戦闘的な既得権労組の横暴、高い若年失業率、高齢世代の貧困化、2%台の低成長と分配の悪化で崩壊する同伴成長、主力産業の競争力弱化や中小自営業者の没落など、1人当たりの所得3万ドルとはいうものの、社会全般が総体的な病にかかっている。 (つづく)


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