文在駿は、革命政府が腐敗と無能を理由に一般公務員たちを大量に解任しているため、軍も自浄作業をせねばならないと考え、まず自分の憲兵隊から45人を退職させた。6月27日、最高会議で将官級に対する予備役編入審査委員会が開かれた。文在駿は金鐘五総長の不正などを列挙し、彼を除隊対象者にすべきと主張した。審査委員会副委員長の李周一少将が難色を示した。
「朴正煕将軍が推薦して総長になった方を1カ月も経たず解任して良いのか」
それでも文在駿は審査委員の投票で決定するよう主張した。採決の結果、金鐘五陸軍総長は予備役編入対象者に決定した。立場が悪くなった李周一は翌日、朴正煕副議長の決裁を受けに行くとき、文在駿に「一緒に行こう」と言った。朴正煕は金鐘五総長の予備役編入件に反対した。ここでも文在駿は意地を張った。
朴正煕は文憲兵監を説得していたが、ついに怒った。「君は気性が過激なのが問題だ。再審して欲しい。革命はお前一人だけでやったもなのか?」
それでも譲らない文在駿に朴正熙は灰皿を投げた。文在駿は鬱憤を抑えられなかった。彼は金鐘五将軍を参謀総長として推薦した者が金鍾泌情報部長だと思った。朴副議長がその金鍾泌の言葉だけを信じていると確信した。激情的な彼は尊敬する朴正煕が自分を信じてくれないことが悔しくて、事務室へ戻ってわあわあ泣いた。この時金ヨンウと方滋明中領が入ってきた。「いったいどうしたことでしょうか」
文在駿は金鍾泌の謀略のため、朴将軍が自分を信じなくなっていると訴えた。方滋明中領は「それは金鍾泌よりその下の權寧秀中領の仕業のはず」と言った。文在駿は同期生の朴致玉大領に電話をかけて呼んだ。
最高会議庁舎の屋上で、文憲兵監は朴致玉空輸団長に、金鍾泌を捕らえて懲らしめてやるべきだと言うと、朴空輸団長も同調した。二人は7月3日の深夜2時に憲兵隊兵力で金鍾泌を逮捕して憲兵監室へ連行した。朴空輸団長はこの連絡を受ければ空輸部隊兵力で中央情報部包囲し、出勤する朴正熙将軍に事態を報告することに合意ししたという。
6月30日の夕方、朴正煕と張都暎は中央庁の総理室で、軍政期間や革命政権の課題などについて意見を交わした。特に軍政期間に対する二人の意見は、あまりに違いが大きかった。最大2年以内に民政への早期移譲を主張する張都暎と、革命課題の遂行完遂を主張する朴正煕の考えには接点がなかった。結局、張都暎が退陣の意思を表明した。
張都暎は「小さな部屋の中で顔を見ながら交わした対話だったが、軍事革命の歴史的意義と基本方針、そして課題の遂行において私と朴将軍の相違点はあまりにも多く、また大きかった」と当時を振り返った。
7月2日の夜、金鍾泌中央情報部長が指揮した文在駿陸軍憲兵監、朴致玉空輸団長、張都暎議長の側近勢力逮捕作戦は同日の夜から数時間にわたって静かに行われた。文在駿、朴致玉、内閣首班の秘書室長・李晦榮大領、最高会議議長秘書室長の安用鶴大領など40人余りが反革命の疑いで拘束された。張都暎が7月3日の朝、最高会議に出勤したら、常任委員たちが待っていた。李周一少将が辞任を勧めた。張都暎議長は直ちに会議を終え、肉声で辞任声明を発表した。最高会議は午後、張都暎議長の失脚を発表した。 (つづく)