「ワッソ」をつなぐ<編集後記>

「おばあちゃんになったら孫を連れて来たい」
日付: 2018年11月14日 12時56分

 4日、大阪・中央区法円坂の難波宮跡公園で開かれた四天王寺「ワッソ」。祭りの間中、絶え間なく感動の波が押し寄せてきた。ワッソの原点「パレード」の再現など、終始人々を沸かせていた。

 祭りは、白頭学院建国学校伝統芸術部によるオープニング公演から始まった。サムルノリ公演は、日々の幸せを願うという意味が込められた韓国の伝統儀式だ。小学生から高校3年生までの先輩後輩たちが交わり、華やかな舞台を魅せた。テーマは「夢舞」。未来に向かう夢、一人ひとりの夢、平和のための夢を躍動的な踊りと情熱的な打楽器演奏で演出した。白頭学院伝統芸術部は、アマチュアとは思えない演技力を持つ実力者たちがそろう。2007年、世界サムルノリ競演大会で1位となり、大阪府伝統芸術代表として14年連続で進出を果たしている。ワッソでも彼らは欠かせない存在だ。
伝統芸術部のオープニング公演
 続いて、韓国を代表する金徳洙サムルノリが舞台に登場した。1990年の大会初回から毎年、ワッソで公演を行っている金徳洙氏は「大阪の真ん中で、韓国と日本を”つなぐ”意義深い祭りに参加できて光栄だ。近くて近い2国間の友好と親善がより深まると嬉しい」とし、来年の公演を約束した。
続いて、ミニ歴史劇「朝鮮通信使と雨森芳州」が行われた。昨年10月、ユネスコは「朝鮮通信使に関する記録」を世界記憶遺産に登録した。何より意義深いのは、韓日両国の市民たちが力を合わせ、これを成し遂げたという事実だ。朝鮮王朝が派遣した通信使と、日本側の出迎え役・雨森間の関係を歴史劇で味わい深く再現した。
そして、ついにワッソのハイライトである「パレード」が幕を開けた。大阪を舞台に繰り広げられた韓半島の国々と中国、日本の友好の歴史をパレードと交流の儀式で再現するパフォーマンス。隋を除き、登場した海外の王朝はいずれも韓半島の国々だった。高句麗、新羅、百済、伽耶、耽羅、朝鮮。1400年前の三国時代から100年前の朝鮮時代まで、韓国の歴史の偉人たちが海を渡って大阪にたどり着き、練り歩く様子を再現した。パレード要員の多くは中高大学生たちだ。参加校は、白頭、金剛学園を含む26校。団体と企業は32に達した。パレードと運営に1300人が関わり、およそ4万5000人が観覧するという、決して小さいとは言えない規模のイベントだ。
これまでの伝統に基づき、文在寅大統領も祝辞(呉泰奎大阪総領事代読)を寄せた。文大統領は「韓日の交流と協力の貴重な縁が1400年を繋ぎ、在日同胞たちが受け継いでいる。祭りの今年のテーマのごとく両国間の交流を今後も”つなぎ”、両国の友情を未来の世代に”つないでいかなければならない”。それは両国が共同で追求すべき目標」と語った。
一方、伝統だった日本の首相からの祝辞は今年は見送られた。聖徳太子役を務めた平野俊夫氏は、2018平和宣言で「祭りを通し、和の精神を大阪から日本に、アジアから世界に拡散する。これが人々の”繋がり”を生み出し、対立から”和”を生む。さらに、調和のとれた多様性の創造へ、平和な人類社会の発展へとつながることと確信する」と強調した。
現場でインタビューに応じた井植敏・元三洋電機会長は「ワッソ祭りを次の世代に継承していくことを視野に、日韓両国に加えて東アジアの文化をグローバルに発信していくことを願う」と語った。井植元会長は、ワッソ復活に大きく力添えした人物だ。現在のワッソ事務局である大阪ワッソ文化交流協会の初代理事長であり、12年には聖徳太子役を務めて平和宣言を朗読した経歴を持つ。
この日の夜、大阪市内の焼肉店ではワッソ復活をリードしたもう一人の主役、崔忠垣氏の主催で「四天王寺ワッソ支援の集い」が開かれた。ワッソの出演者として参加した旧大阪興銀のスタッフたち、事務局の職員、韓国から来日した衣装製作者らがワッソの成功を祝う場だった。まさに「ワッソ同窓会」の様相だった。毎年欠かすことなくワッソで出演、コーチ、ボランティア活動を続けている者は少なくない。そのうちの1人、梁永順氏は「美しいワッソが永続することを願う。将来おばあちゃんになって、孫の手を繋ぎながらワッソを一緒に観覧して『おばあちゃんが一緒に作った祭りだよ』と話してあげたい」と語った。
「ワッソ」祭り。きらびやかな韓国固有の伝統文化、振付と唄、楽器演奏。それらを、渡来人のかつてのルートである大阪、在日同胞が最も多く暮らすその都市の真ん中で鑑賞できるという事実。それを韓日両国の市民が共に楽しむ場となっている事実。祭りを見守る間、終始万感胸に迫る思いだった。昨年より今年、今年より来年、より多くの両国市民たちがこの晴れやかな祭りの場を分かち合うことを切に願った。   (李民晧)


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