洪熒・本紙論説主幹
朴正煕と李秉喆の出会いは、祖国近代化を夢見た革命家が企業の重要性について目を覚ました契機となった。貧しい農民出身で質素な生活が身についた朴正煕は、金持ちに対しては生来の拒否感を持ってきたが、彼の実用的で柔軟な思考は、金持ちの企業家たちを利用して国家を富強にすべきだと考えを転換させた。
だが、朴正煕は大企業が大資本を背景に権力に挑戦し、政治的影響力を行使することは許されないと考えた。朴正煕時代の政経癒着は、国家が大企業を統制し国政の方向へ向かわせる手段として利用されたという点で、多くの国々で見られる、腐敗と浪費をもたらした政経癒着とは性格が異なる。
5・16革命後、広範な世代交代が行われた。革命後1カ月で政府は、約2万人の公務員を整理した。内務部が発表した「公務員整理要綱」の13項には「50歳以上の高齢者」が整理対象に含まれていた。革命政府は特別法を作り兵役を逃れた者らを公職から追放した。
大法院(最高裁判所)に対する監督官として派遣された洪弼用大領事は、大法官(最高裁判事)全員を解任した。洪大領は、5年以上同じ所で勤務した法院書記を全国的に全員交替した。革命政府は、法院と検察に対する粛正を拡大、地方法院長級の全判事と検察の幹部たちに辞表を出すよう命令した。
国家再建最高会議は6月12日、宋堯讚元陸軍参謀総長を国防長官に任命した。彼は4・19の後、朴正煕と金鍾泌が主導した「整軍運動」のため陸軍参謀総長から退き、米国に渡りジョージ・ワシントン大学で勉強していた。彼は軍事革命のニュースを聞くや、革命の成功がまだ不透明なとき革命支持の声明を発表した。
朴正煕副議長は、革命直後から権力構造について考え始めた。革命主体勢力は、大統領中心制の憲法を作って新しい保守政党を中心に政治勢力を糾合したドゴールのフランスの安定した権力構造に関心が高かった。国家再建最高会議企画委員会の最高顧問の兪鎮午高麗大学総長は6月1日、AP通信との会見で「ドゴール憲法のような権力構造で政権移譲をするかもしれない」という要旨の発言をした。
朴正煕副議長は、朝鮮日報6月27日と28日付の特別寄稿「指導者道」で韓国国民の全体的なレベルは自由民主主義を実践できない程度と断定した。
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<国民の多くは強力な他律に支配された習性が第2の天性となり自覚、自律、責任感は極度に萎縮されてしまった。責任感のない自由が放縦と混乱と無秩序と破壊を助長した。人権尊重の思想が土台となるべき民主主義は謀略、中傷、誣告で堕落した。義務感が薄弱な権力層は国民と遊離し、権力を乱用し腐敗分子と結託して巨富を蓄積した。経済人たちは政治家と結託して不正融資、脱税、密輸、財産の海外逃避など悪辣な手段を動員し(中略)指導者は、大衆と遊離し、その上に君臨する権威主義者や特権階層ではなく、彼らと運命を共にし、彼らの側に立って同苦同楽する同志としての意識を持った者でなければならない。
指導者はすべからく大衆に根を下ろさねばならない。そうしないと、李承晩政権や張勉政権の前轍を踏むだけでなく、祖国を蘇らせる方途を失うことになる。指導者は大衆と常に呼吸し、彼らが切実に望むのが何なのかを迅速かつ正確に把握し、最も可能な方法が何なのかを見いだし、自分が確信する方向と最も可能な方法に対して納得させられる能力を持ち、協力を刺激し、導く勇気を持つ者だ>(つづく)