<社会変革が起きても、米軍が駐留する限り赤化の憂慮はない。革命が起きたことでむしろ政局が安定するかもしれない。一方、複雑な思いがした。企業家11人が不正蓄財の疑いで拘束されたという。その1人が「不正蓄財の第1号は東京にいるのに、私たち小僧だけを逮捕するのは公平でない」と獄中で文句を言ったと伝えられてきた。貧困のため社会の混乱が引き起こされている。その貧困追放の先頭に立つべき経済人たちをこの際うまく活用すべきなのに、根本的な解決策をおろそかにし、どういう目的で拘束したのだろうか>(『湖厳自傳』からの引用、湖厳は李秉喆の雅号)
6月4日、在日居留民団の權逸団長が李社長を訪ね最高会議の伝言として帰国を勧めた。数日後、革命政府の青年2人が「直ちに帰国するのが良い」と言って去った。三星東京支社に連絡したら、本国では社長がいないため事態が収拾できず、人々が帰国を望んでいるという。李秉喆は最高会議の不正蓄財処理委員長・李周一少将に以下の要旨で手紙を書いた。
<不正蓄財者の処罰という革命政府の方針には異議がない。だが、百害無益な悪徳企業家たちと、変則的で不合理な税制下でも国家経済の再建に貢献し、国民に働き口を提供、生活を安定させ税金を納めて国家運営を支えてきた企業家たちは、厳密に区別すべきだと思う。経済人を処罰して経済活動が萎縮すれば貧困の追放に逆行する結果を生む。私は全財産を献納しても、それが国民の貧困を解決する方法になれば幸いだと思う>
6月26日の夜、飛行機で帰国した李秉喆は中央情報部が準備した明洞のメトロホテルに泊まり翌日、朴正煕副議長に会いに行った。朴泰俊秘書室長の案内で広い部屋に入ったら、黒い眼鏡をかけた朴正煕が向こうからきた。李秉喆はこの日の朴正煕との対話を詳細に記している。
<朴副議長の第一印象は非常に強直に見えた。指導者としての徳望はどうだろうと関心を持っていたら、黒い眼鏡の朴副議長は「いつ帰ってきましたか。不便はありませんか、と挨拶した。意外なことに、あまりにも穏やかな声音に安堵感を感じた>
<彼は不正蓄財者11人の処罰問題に対する私の意見を訊いた。私は不正蓄財の第1号とされているため、どう話を始めるべきか。しばらく沈黙が続いた。朴副議長は「どんな話でもいいから忌憚なく聞かせてください」と促した。ある程度気持ちが落ち着いた。所信を率直に言うことにした。「不正蓄財者と呼ばれる企業家には、実は何の罪もないと思います」
朴副議長は意外だったのか一瞬表情が硬くなったが続けた。「私の場合も脱税で不正蓄財者とされました。しかし、今の税法は、収益をはるかに超える税金を徴収できるように規定された戦時緊急事態下の税制そのままです。このような税法の下で税率通り税金を納めた企業は倒産したはずです。もし倒産を免れた企業があるなら、それは奇跡です」
朴副議長は、時折うなずきながら納得する態度を示した。
「金額で1位から11位に入る人々だけが今、不正蓄財者として拘束されているが、12位以下の企業家らが数万人おり、同じ条件で企業を運営してきました。彼らも皆11位以内に入ろうとしたが、力量や努力が足りなかったか、機会がなかったため11位以内に入れなかっただけで、決して譲歩したわけではありません。したがって、ある線をもって罪の有無を決めてはならないと思います」 (つづく)