四天王寺ワッソ【第6回】「新羅・阿加留比売」選抜大会

3412人の中から勝ち抜く
日付: 2018年09月27日 00時00分

 今回は、韓半島を治めた最初の統一国家・新羅と日本の関係を探る。四天王寺ワッソ実行委員会が1995年に制作した映像と追加取材を基に、緊密だった韓日両国の交流史を振り返ってみたい。(李民晧ワッソ取材チーム長)

フィナーレは聖徳太子役の平和宣言

 新羅(BC57~935)はかつて、慶尚道地方を中心に栄えた古代国家だ。新羅は676年、西南部の百済、北部の高句麗を吸収して治めた。韓半島を初めて統一したこの国家もやはり、日本と深い交流の縁を結んだ。飛鳥・奈良時代には、政治的・文化的に多大な影響を与えた。
ワッソパレードにおける新羅行列の先鋒は、阿加留比売だ。日本で最も古い正史・日本書紀に、新羅から来た女神との記述がある。古事記の中巻・応神天皇編には、女性が陽の光を浴びながら卵を産み、そこから人間が生まれたと記述されている。卵生神話の主人公であり、太陽を表す赤いメノウ玉の化身だ。
阿加留比売は、四天王寺ワッソ祭りにおける「祭りの花」だ。主人公として、最も華やかなスポットライトを浴びるポジションにある。阿加留比売の役を巡る競争は熾烈を極めた。1995年10月5日、大阪のホテルニューオータニで開かれた阿加留比売選抜大会には、一般から3412人の応募があるほど、大変な熱気に満ちていた。ミスコンテストを彷彿とさせるような熾烈な競争の中、予選と決戦を勝ち抜いた1人が選抜された。
阿加留比売の夫は、新羅の皇子、天日槍だ。韓日古代史で重要な役割を担った人物と記録されている。
「垂仁天皇3年3月、新羅から天日槍皇子が複数の玉と剣、鏡、”熊神籬”など、全7種の品を携えて倭国に渡ってきた(日本書紀)」という。天日槍皇子が倭国の崇神王の息子、垂仁王初期に新羅から渡ってきたということは、新羅王室と垂仁王家の密接な血縁関係を具体的に示しているとみられる。
現在も、日本各地では天日槍皇子を祭神と崇める神社が各地に多数存在している。つまり、当時の天日槍の存在が、王に匹敵する高い身分だったことを知らしめている(谷川健一「青銅の神の足跡」集英社、1979年)。
ワッソ祭りでは、天日槍皇子が新羅から持参した7種の品を示す「神寶」の再現セレモニーが行われた。彼は、夫人である阿加留比売を伴い倭に渡り、近江、越前、丹波などを巡った後に但馬に留まり、その地域で大きな勢力を持ったとされている。現在も出石神社などでは神として崇められている。阿加留比売も様々な伝説と共に九州、瀬戸内、難波に彼女を崇める神社が多数残っている(比賣許曾神社、姫島神社など)。
ワッソに登場する新羅の偉人たちはそうそうたる顔ぶれだ。韓半島の三国を統一した名将・金庾信、統一新羅の基礎をつくった名君・金春秋、新羅三文章とされる学者・崔致遠と薛聰、仏教宗派・華厳宗の創始者・元暁などだ。薛聰は、漢字の音と意味から韓国語をおこす表記法「吏讀」の発案者。この吏讀は、日本の万葉仮名に直接的な影響を与えたと伝えられている。
ワッソで巨大な舟だんじりに乗って登場する金春秋は、東アジアの激動の時代に、外交の重要性を懸命に証明した歴史上の人物。彼は百済、高句麗よりも国力が弱かった新羅を代表し、直接高句麗、倭、唐を訪ずれ活発に外交を展開した。日本書紀には、爽やかな容姿でよく談笑したとの記録が残っている。三国統一の道筋を作った一番の立役者として、周辺強国に挟まれた弱小国が生き残る方法を示すという歴史の教訓を残した。
フィナーレは、四天王寺の創建者・聖徳太子の役どころだ。東アジア各国との交流に力を注いだ聖徳太子役が平和宣言を行う。毎年、日本のオピニオンリーダーが太子の役を務め、宣言文を朗読している。(つづく)


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