韓国自動車メーカー 半世紀超の挑戦―2―

トヨタが韓国車を研究する時代が来た
日付: 2018年08月29日 00時00分

 私が長く編集長を務めた『ベストカー』誌でも、英国人のターンブル氏のもと韓国初のオリジナル完成車、ヒュンダイポニーのチーフエンジニアを務めた懽さんに「開発秘話」を連載していただいた。1975年12月に発表されたポニーの開発ヒストリーは面白く、韓国人の物作りの情熱の本質に触れることができた。自身でもいい企画だったと思っている。
ポニーは、86年に三菱自動車の強力なバックアップを得てポニーエクセルに進化。韓国でベストセラーになったほか、カナダでは日本車を抜いて輸入車販売台数№1になるなど北米を中心に人気車となった。
実はこのエクセルは日本でも販売されたことがある。当時、三菱商事の自動車部部長であった益子修氏(現三菱自動車社長)の主導で、88年のソウルオリンピックを記念して150台だけ販売された。『ベストカー』でも躍進する韓国車を研究するために購入して私が主に乗った。
安かったし、性能的にも過不足ない車だったが、走行距離が1万5000kmを超えるころ、ショックアブソーバがスカスカの状態になるなど車の出来としてはまだまだだったと記憶している。周辺部品産業の育成が必要だと思ったりしたものだ。
安いが粗雑…そんなイメージで捉えられがちだった韓国車(現代自動車)が変わってきたのは90年代後半から。98年、現代自動車は起亜自動車を傘下に収めると、グループ全体の車のクオリティアップやアフターサービスアップ策を積極的に展開。ブランドイメージアップ強化を図った。
結果、5代目ソナタやサンタフェといったヒット作を生み、海外で完全に日本車を脅かすほどの存在となった。事業には失敗したが、2001年には日本市場への参入を果たしている(現在はバスの販売を継続、好調だ)。
08年には高級車市場にも参入。ジェネシスはこの年、北米カーオブザイヤーを獲得。現行の3代目(現代ブランドからジェネシスブランドに独立)は、アメリカのコンシューマーリポートの顧客満足度やJDパワーの商品努力度で多くの日本車を圧倒、トヨタのレクサスと並ぶほどの人気を得ている。
技術力も急成長、トヨタの十八番と思われていたハイブリッドも、現代自動車は11年にトヨタとは異なるメカニズムで販売開始。アメリカの燃費調査でトヨタプリウスを上回ってみせた。さらに14年にはHVとEVの融合、PHEVも発売、技術力の高さを見せつけた。
世界市場で日本車と競う状況となった韓国車の躍進。そのあたりを日本のホンダ首脳にインタビューしたが、「確かにデザインやインテリアのクオリティは素晴らしいが、走らせてみるとイマイチな部分が多いね」と、走りはまだまだホンダがリードしていると、ライバル心を剥き出しにしていたことが印象深かった。
ちなみに現代とホンダは生産台数、売り上げともほぼ同規模。ライバル心は強い。
トヨタもこんなことをやっている。
09年に社長になったトヨタ自動車の豊田章男社長は就任直後、テストコースに現代自動車の車を中心に韓国車を一堂に集め、本社と系列の首脳や技術者を集合させ「韓国車を徹底的に研究して、なぜ売れるのかを考え、研究しろ」と、ハッパをかけたという。
そのころの現代/起亜グループの勢いは驚くべきものだった。
簡単に記すと、06年には北米市場で売上を伸ばし、ホンダを抜き世界第6位メーカーに。10年にはルノー/日産グループを抜き、世界第4位に躍進。欧州市場に限っていえばトヨタグループを抜いてしまったほど。新社長となった豊田章男氏が現代/起亜グループを大きな脅威と感じたのも当然だったろう。
トヨタが韓国車を学ぶ時代が来たのだ。
(元講談社BC社長・『ベストカー』元編集長 勝股 優)


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