韓国にはこれまで十数回訪れている。観光や釣り(鮎釣り)で韓国各地を回った。関釜フェリーで行ったこともある。仕事柄、車の試乗テストで釜山からソウルまで走ったことがあるし、最近では電気自動車への取り組み取材で済州島を3回訪ねた。訪れるたびに韓国の道路網の充実と韓国車の進化と魅力を感じている。
今春も友鹿洞(ウロクトン:慶尚北道の大邱の南)という山村を訪ねた。ここは豊臣秀吉が引き起こした朝鮮ノ役(文禄の役)の折、兵三千人を引き連れて朝鮮側に投降し、以後朝鮮のために戦った降倭武将・沙也可(韓国名・金忠善、一説には加藤清正か小西行長の部隊長であったらしい)が隠棲していた土地だ。司馬遼太郎さんの『街道をゆく。韓のくに紀行』を読んで、かねてから興味を持っていた。
司馬さんが訪ねたのは、1970年代後半のこと。山が迫る谷間の村に、赤土の細い道(でこぼこしていただろう)を車で向かったという。私もそんな山岳ドライブを覚悟していた。大邱から出発した友人の車は街を抜け、高速道路を渓谷沿いに走った後、脇道にそれるとあっけなく止まった。
そこが、司馬さんが昔、苦労してたどり着いた友鹿洞だった。
ところどころに家が散在する沢沿いの村の景色は、司馬さんが描いた風景とそう変わっていなかったが、村の近くに高速道路が走っている。この小さな田舎町も韓国のモータリゼーションの真っただ中にある。近くを走る高速道路にはカッコいい韓国車、時にはヨーロッパ車がビュンビュン走っていた。今、司馬さんがこの地を訪れたら、さぞ驚いたことだろう。
今さら説明するまでもないが、昨年のデータでは韓国は五つの自動車メーカーが、自国を含む世界で819万台を販売する自動車大国である。
2017年時の韓国自動車メーカーの販売数は、現代自動車/450万4825台、起亜自動車/274万6188台、GM韓国(旧大宇自動車)/52万4547台、ルノー・サムソン/27万6808台、雙龍(サンヨン)/14万3685台。
世界販売台数の順位は(1)中国(2)アメリカ(3)日本(4)ドイツ(5)インド(6)韓国の順だ。
古い日本の乗り物は「駕籠」、韓国の歴史ドラマで登場するのはもっぱら「輿」。馬車という乗り物を生み出さなかった二つの国が今や世界を代表する自動車生産国だというのは不思議な気もするが、両国民に共通した能力のたまものだと思わざるを得ない。
韓国で本格的に自動車産業が立ち上がったのは1962年。起亜産業が東洋工業(現マツダ)の3輪自動車、セナラ自動車が日産のブルーバードをノックダウン生産(組み立て)したのが最初。以後67年に現代自動車、72年に大宇自動車の創業と続き70年代以前から自動車が作られていた。韓国の自動車の歴史は56年ということになる。
現代自動車の最初の車はフォードコルチナのノックダウン生産だったが、創業8年後の75年12月には韓国オリジナルカー、ヒュンダイポニーの生産を始め、一躍脚光を浴びた。
元BL(イギリス)の重役G・ターンブルを指導者に、英・仏から工作機械を買い付け、三菱自動車からエンジン(1238cc)とミッションを調達、車のデザイン・設計をイタリアのカロッツェリア、イタルデザインが行うという手法で小型セダン、ポニーを作り上げ、世界に輸出した。
(元講談社BC社長・『ベストカー』元編集長 勝股 優)