朝総連衰亡史(90)「歓喜のなか誕生した人民の国」がなぜ地獄になったか

日付: 2018年08月15日 00時00分

 前回、平壌で金正日の誕生日の行事のため、極寒の冬に小学生の練習を中止させた太永浩公使の自伝を紹介した。太公使が打ち明けた、北韓外務省で粛清の犠牲者が少ない理由をもう少し紹介する。
平壌の外務省が、金正日と金正恩の方針(指示)をそのまま執行するのが「まずい」と思ったときは、以下の報告書を上げるという。(『書記室3階の暗号』342―343ページ)
金正日の指示を執行する場合も、次のような文書を作成して、金正日の指示を受ける。「将軍様がくださった指示を執行するため対策を議論した。みんな賢明な方針と言いこのように、あるいはあのようにと良い意見が多く提起された」
金正日の指示が非現実的な場合は、このような文書を作成する。「将軍様の指示通りにすれば、この点が良いが、たまにこのような問題が起こり得る。こうすれば、もっと良いではないかという一部の意見もあった」
報告を受けた金正日は、もう一度熟考するしかなく「やめろ」あるいは「そのまま推進せよ」という指示を下すようになる。どちらの決定でも外務省の負担は減る。
他の機関は「首領様と将軍様の教示と言葉は、地上の命令」としながら無条件執行する。結果が良くない場合、責任を負わねばならない。出党撤職とかひどい場合は処刑だ。実際「貨幣を交換してインフレを鎮めよ」という、金正日の指示を受けた朴南基は銃殺された。執行の長所と短所を確かめず貨幣改革を推進したが、住民の不満を一人でかぶったのだ。
(中略)言うのは簡単だが、外務省のような構造体系を確立することは容易ではない。幹部と構成員の間に何も言わずとも共感が形成されていてこそ可能だ。一方が絶対的な忠誠と執行を主張する際、他方で、長所と短所を云々しては命が危うくなる。
自ら共和国の駐日代表部を自任する朝総連としては想像もできないことだ。朝総連は労働党の海外での唯一の支部だ。北送事業で人質をたくさん取られてはいるが、朝総連の幹部たちが正論を言って捕らえられ銃殺されるか、家族と一緒に炭鉱へ送られることはない。だが、朝総連は頭も悪く度胸もなく卑怯だ。
朝総連は平壌からの野蛮な指示に異議どころか、内部で合理的な意見調整も不可能だ。常識的意見を出せば、平壌の方針に沿わないと踏み潰す。その結果、朝総連の95%が組織を去った。日本国内での巨大な脱北が行われた理由だ。
繰り返しになるが、朝総連の盲従体制が朝総連を没落させた。例えて言えば、「平壌の外務省は文字が分かる奴隷、朝総連は文字も読めない奴隷」のようなものだ。今、歴史の激変期こそ「人民の国」のため朝総連が先に変わらねばならない。
朝総連が機関紙に「共和国が歩んできた70年の路程」を連載し始めた。初回は「歓喜の中で生まれた人民の国」だ。人民の国を導いてきたのは首領と朝鮮労働党だ。だが政治思想の学習をしない韓国は発展し、首領の指導と配慮の下で党に忠誠を尽くしてきた北韓ではなぜ多くの人民が餓死したか。
結論として、北韓を李承晩と朴正煕が統治したら韓国のように、いや韓国より発展したかもしれない。北韓が失敗したのはスターリンの衛星国として出発したから。
ところで、金日成が息を引き取った妙香山招待所(別荘)の建物が取り壊された。ソウルの韓半島ニュース専門のリバティ・コリアポスト(8月9日付)は、妙香山別荘が2011年、金正日の指示で取り壊され、今まで秘密にされていたという。
妙香山別荘は、金日成が回顧録を執筆したと宣伝された場所だ。もちろん金日成の回顧録『世紀とともに』は党の専門家が書いたものだ。金日成が訪れた家庭まで、首領の現地指導は聖地となり、抗日運動の証拠として「スローガンの木」まで神聖に保存する金氏王朝ではないか。
金氏王朝の始祖の首領が回顧録を執筆した妙香山別荘を取り壊すのは「大逆罪」だ。天災で壊れても最優先的に復旧すべきなのに、首領が好きだった別荘を取り壊した理由は何か。「暗殺」の現場だったからか。
妙香山には金日成と金正日に献上した世界各国からの贈り物を展示した国際親善展覧館がある。日本からの献上品も全部ここに展示されている。妙香山に今、戦略軍司令部が駐屯する。金日成が息を引き取った建物を金正日が取り壊させたことも妙香山に入った戦略軍司令部の軍人によって分かったという。(つづく)


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