大韓民国の建国史(119)国民の不満解消のため旧弊の剔抉に出た当局

日付: 2018年07月31日 04時23分

 国家再建最高会議は28日、不正蓄財者の処理の基本要綱を発表した。「金融機関から融資を受けて1億圜以上の政治資金を提供した行為」「外資購入の外貨、あるいはその購入外資の割り当てを独占することで、2億圜以上の利得を取った者」「2万ドル以上の財産を海外に流出した者」などが捜査の対象者となった。腐敗公務員、企業家、海外に財産を流出した者など25人を既に逮捕したと発表した。
発表されたリストに含まれた人々の中にはその後、疑いが証明されなかった人々も多く、起訴もされなかった人々もおるなど、信憑性に問題があった。高位公務員や5人の将星も含まれた。韓国を代表する企業家たちも含まれた。日本にいた第一製糖の李秉喆会長は「未逮捕者」と発表された。
革命政府は政治と結託していた企業家15人を拘束した。不正蓄財処理法を作って不正蓄財者27人に475億圜の巨額の罰金を課した。企業家たちが所有していた市中銀行の株式を没収。これで、1950年代後半に民間銀行として払い下げられた銀行が再び国有化された。ところが企業人たちの拘束と処罰で経済事情は悪化した。
革命政府は、経済の安定と発展には 企業家たちの協力が必要であるを認識し不正蓄財者の処罰を緩和した。企業家たちは韓国経済人協会を結成し、蔚山工業センターの建設に必要な外資の導入に乗り出すなど、革命政権の開発計画に参加し始めた。韓国経済人協会は、後に全国経済人協会(全経連)となる。
革命政府は「社会悪」と指弾されたマスコミに対する大々的な整備に取り組んだ。当時、韓国にはまだテレビ放送がなかった。ソウル市民たちが主に接した3大メディアは新聞、ラジオ、映画だった。世帯の55%が新聞を購読し、51%がラジオを持っていた。市民の45%が月に1回以上映画を見ていた。
公報部は5月28日、「継続して発行できる新聞、雑誌、通信社」のリストを発表した。この強制措置によって全国紙64社のうち15社だけが残った。地方紙51社のうち24社、中央通信社252社のうち11社だけが残った。地方通信社64社は全部閉鎖され、週刊誌は355社中31社が残り、130社だった地方週刊誌は1社が残った。公報部は、このリストに含まれていないメディアは、登録証と記者証も回収し、今後一切の活動を禁止すると発表した。
民主党政権のとき乱立したこの316社の通信社は記者証を売り、お金で記者証を買った「記者」たちは恐喝輩となって暮らした。「革命主体」の朴鐘圭少領も革命を謀議していたときある通信社から偽の写真記者証をもらって使用した。メディアのこの乱立、堕落も張勉政府の失敗をもたらした。
革命政府は28日、張榮淳陸軍大領を検察総長に任命した。韓信内務部長官は同日、公務員に執務態度に関する指針を下した。韓国社会の全般へ「軍事文化」の拡散を予告したものだった。
革命政府の革命的措置の中には「農漁村の高利債権整理」も含まれていた。5月25日の昼12時を期して、農漁民が負っていた年利2割以上の高利債に対する債権の行使を停止させた。1950年代以降、蔓延した高利債は農漁民の生計を深刻に脅かした。債権者と債務者たちが当局に申告し確定された債務は、政府が「政府保証融資」で借金を返済するようにした過激な措置だった。だが、この措置は多くの問題を惹き起こす。
(つづく)


閉じる