文在寅政権の正体 建国節論難と国家解体

国民を粛清したポルポト政権の再来か
日付: 2018年07月11日 00時00分

 建国70年を迎えた国で、建国節がいつかという論難が熱い。文在寅政権が憲法を否定し、文大統領自身が、過去70年間の自分の前任者たちである歴代大統領11人を否定し、大韓民国が1919年に建国されたと言い張っている。義務教育でも、学生たちに憲法に立脚した建国節を教育していない。

第7機動軍団
 まず、来週の7月17日は、韓半島史上初めて最高の憲法を持った第70周年の制憲節だ。憲法は国家の骨組みだ。憲法があったからこそ大韓民国の建国が可能だった。もちろん、憲法が国家の最高規範としての権威を持つためには、その制定の手続きや過程も、透明かつ公正でなければならない。韓国憲法にも憲法を制定する国民の代表制憲議員を選出する総選挙があった。1948年5月10日の総選挙だ。この政権国会の選挙も人類社会が発展させた先進的で民主的な方法で行われた。
文在寅大統領の言動を見ると、彼は今、正常な思考能力が欠けていると思われる。彼は「大統領になることは、世の中を変える手段」と述べた。また、「私はロウソク示威隊の意志に従っている」とも述べた。文大統領の盟友だった盧武鉉大統領も、自分を道具として使ってほしいと言った。他人の道具になるのを願うのは、自由民主主義者の考え方や価値観と言えない。
文在寅政権が描く新しい世の中はどんなものなのか。ロウソク政変の終わりはどこなのか。多くの国民が、そして国際社会も、おそらく、朴槿惠大統領を引き下ろし自分たちが権力を握ったことが目的で、その目的を果たしたから、ロウソク政変は終わったと思った。しかし、それは終わりでなかった。
あるいは朴槿惠前大統領と李明博元大統領の裁判の日を盧武鉉大統領が自殺した日(5月23日)に合わせて開くのを見て、盧武鉉の恥辱的な自殺への復讐なのかと思ったが、それも終わりではなかった。いずれにせよ、復讐が目標であるらしい。
原子力エネルギー政策を一言で廃止するとか、教科書を勝手に変えるとか、法治の基本を完全に無視し、やがて、大統領令をもって憲法を無力化させる文在寅政権―その集団の無謀さと過激さと残酷さを見ると、3年間で自国民の4分の1を「積弊」として殺したクメールルージュのポルポト政権を思い出す。
文在寅政権はよく主思派・全大協政権と言われるが、どうしても正体はよく分からない。いずれにせよ、今は二日働いては一日程度休まねばならないような健康状態の文大統領は誰に支配されている。
ところで、彼はなぜ1919年の建国説にそれほど執着するのだろうか。19年の建国説を主張すれば、文大統領は、平壌の金正恩とも円満な関係が保てなくなる。平壌側は19年の建国説を到底受け入れられない。文大統領は、「100周年委員会」の委員たちに、南・北の独立運動の歴史を共有するよう注文した。
北韓がスターリンの力で実質的に「建国」されたのは1946年1月だ。これを「抗日神話」で20年も早めて1926年にしたのが「打倒帝国主義同盟」だ。金日成がこの打倒帝国主義同盟を作ったのは14歳のとき、26年10月。大韓民国の建国7年半後になる。
今、文在寅政権が大韓民国の国家と国軍を解体するのを見れば、彼らは金正恩に降伏するようだ。特に地上軍兵力を10万人以上も縮小するのは、中国の韓半島への軍事的野心を唆すような愚かな措置だ。戦略機動部隊などを後方へ移動するというが、後方地域で師団、軍団規模の駐屯地や訓練場があるのか。
ところが、本当に降伏するとは思えない。それは、彼らがすでに既得権層となり、奪われたくないものをたくさん持っている。彼らはもはや怒りに満ち、貧しかった革命家たちでない。彼らは多くを持っている。ネクタイを締めて優雅に生きている。
「委員会」は一応、自由民主主義を標榜している。そうだ。まだ自由を否定はしていない。用語戦術的に曖昧に敵を騙さねばならないからだ。そして、金日成民族として統一しようとは言えない。それで、4千年前の「弘益人間」を持ち出している。統一韓半島には住む人々は、神の境地の弘益人間たちが住むのか。
文在寅集団は非常に低能な知能を持つ集団だ。知的に低能な集団が知的にもっと高い集団に勝つことはできない。だから低能集団は、数が必要で、集団化し暴力を振るうことになる。結局、集団主義、全体主義独裁が彼らの本性だ。
建国100周年記念事業の内容を見ると、憲法は見えない。文在寅が憲法を否定するなら、彼は憲法が付与した権限を行使する根拠がなくなる。彼は、国軍の統帥権者でもない。大統領に軍統帥権を付与したのは、憲法であるからだ。
大韓民国は精神的な内戦状況になって久しい。幸いなことに、流血の内戦をやるには国土は狭すぎ、人口が多すぎる。


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