大韓民国の建国史(115) 米国のクーデター黙認の要因とは 

日付: 2018年06月27日 00時00分

 マグルーダーは、自分の指揮下の部隊の反乱を許した不名誉を回復するため、尹大統領に執拗に鎮圧を要請した。ソウルの米軍司令官と駐韓米国大使代理がクーデターに対して拒否感を表したにもかかわらず、ワシントンは留保的な態度を取り、クーデターを認める方向に動いた。国務省の代弁人は5月16日の正午(ワシントン時刻)の定例ブリーフィングで、米国は韓国の流動的な状況を注視しているとのみ表明し、マグルーダーとグリーンの声明は、彼らの職務範囲内の対応とだけ述べた。
米国のこの留保的な態度は5月16日の22時45分(ワシントン時刻)、米国務省が駐韓米国大使館に送った電文から明確に表れている。ワシントンの訓令は、「総理と内閣の構成員が行方をくらまし、大統領と軍指導部および核心的公職者たちがクーデターを鎮圧するか、どちらの肩を持ついかなる行動も取らない奇妙な状況で、張勉政府が大きな傷を受けず危機を乗り越えるのは期待し難いと思われる。従って、事態が明確になるまで慎重な観望姿勢を取ることにした。われわれは張勉政府が再建されることを希望すべきだが、次の二つは避けねばならない。張勉政府の再建に逆行するいかなる行動もとってはならないが、この政府が自らを救う努力をしていない今、すでに終わってしまったのかもしれない張勉政府の運命とわれわれの立場を縛ってしまう様子を見せてはならない」
米合同参謀議長のラムニチャー大将も5月16日の夜(ワシントン時刻)、マグルーダーに急電を送った。「今後、これ以上のコメントは避け、必要な場合は、国連軍の目的が、共産主義者の脅威から韓国を護ることである事実だけを強調してほしい」と指示した。
張勉は現れず、尹大統領は張都暎参謀総長の勧誘で同16日の夜、国民に事態の収拾への協力を呼びかけ、張勉政権の国務委員たちに事態の迅速な処理を要求する放送をした。尹大統領は翌17日「いかなる不祥事や犠牲も発生してはならない」という親書を一線の軍指揮官たちに伝え、クーデターに内応するかのように行動した。
このような諸事情から、米国はクーデター鎮圧以降の政治的安定に自信を持てなくなった。だが、3600人の兵力を動員したクーデターが「革命」として成功するかどうかの鍵を握っていたのは米国だ。米国の決定によって、一部軍人が起こしたハプニングにも、「救国の革命」にもなり得た。
米国は、李承晩大統領時代、李大統領が自主路線で「単独北進」をして、米国を再び戦場に連れ込む状況に備え、韓国軍の指揮部を親米化し、有事の際は、韓国大統領ではなく、作戦指揮権を持つ米軍の指示に従うよう試みてきた。朴正煕と金鍾泌(先週の23日、他界した)に代表される革命軍の将校たちは親米派ではなかった。彼らは、英語で米軍将軍たちと親しく付き合う上官たちを軽蔑した。
5月18日(ワシントン時刻)、米中央情報局はケネディ大統領に提出した報告書で、「いかなる抵抗も存在せず、国民は無関心で、張勉総理の抵抗放棄、張都暎の二重行動、尹潽善大統領の妥協的な態度と合憲的な政権移譲、これによる軍事政権の正統性の強化」をクーデター成功の理由として挙げた。米国の立場を代弁した分析と言える。CIAの報告は、ソウル支部長のピアデ・シルバーが朴鍾圭と金鍾泌など革命軍将校と接触した内容とソウル支部がこれまで追跡してきたクーデター関連動向を詳細にまとめたものだった。(つづく)


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