朝総連は先月、二回も抗議活動を行った。東京本部に対する家宅捜査と、朝総連本部への拳銃発射(2月23日)についての抗議だった。特に、朝総連本部への銃撃は、日本当局の敵視政策が生んだファッショ蛮行と糾弾した。テロ行為は正当化されない。だが、労働党の在日支部である朝総連自らはテロ犯罪と無関係なのか。
朝総連は平昌オリンピックの応援闘争を誇らしく報道する。だが、韓国社会は平壌から派遣された応援団をほとんど歓迎しない。今まで北側が韓国で恣行したテロ犯罪が多すぎたからだ。
不思議なことに、朝総連は閉会式に出席した金英哲に対しては沈黙している。これは、平壌側が一切取り上げないよう指示したからだ。元々朝総連は平壌の指示がないと、如何なることもしてはならない。平壌の本部党から金英哲について触れないように指令が降りてきたはずだ。金英哲がテロ主犯であるからだ。
金英哲の職責は、労働党政務局の副委員長、対南事業担当だ。2016年5月の第7次党大会で、それまでの「秘書局」を政務局に名称を変えた、金英哲は、16年6月、「金日成・金正日憲法」で、以前の国防委員会が国務委員会に名称が変わった国務委の委員でもある。そして党中央委の統一戦線部長だ。
では、党政務局の対南担当副委員長(「対南秘書」)の正体と仕事の内容は何か。対南担当秘書という名称でおなじみのこの職責について見てみよう。労働党に秘書局が作られたのは、金日成の唯一体制が確立された1966年10月だ。以降52年間、このポストを経た人物は8人と知られる。李孝淳、許鳳学、金仲麟(2回)、許〓、尹基福、金容淳、金養建、金英哲だ。最も長く在籍したのは、1980年の5・18光州暴動を指揮した金仲麟だ。
対南秘書は労働党の海外の党組織、つまり、日本支部(朝総連)や韓国内の地下党(南朝鮮党)を指導する。北韓と国交関係や党関係のある国家は国際担当秘書が担当し、米・日など北と国交のない、敵対的関係は、一般的に対南秘書が担当してきた。金日成が1977年、統一戦線事業部を作った後は、統戦部が朝総連を指導したが、中央委の部長の統一戦線部長の上に対南秘書が位置する。
対南秘書の存在を世界的に広く知らしめた者が許鳳学だ。現役大将だった許鳳学は1968年1月21日、朴正熙大統領を殺害するため特殊部隊を送った。許鳳学は当時、第2の南侵戦争に備えて作った対南事業総局長を兼任した。
対南事業総局は、韓国と米国がベトナム戦争に集中できないように、南韓をゲリラ戦場化するため、太白山脈地域で冬季ゲリラ戦を展開するため、1968年の年末に蔚珍三陟地域へ特殊部隊を大挙派遣した。もちろん、この南侵ゲリラたちはほぼ全滅した。結局、許鳳学は金日成によって粛清された。
金容淳など対南秘書が日本を訪問したとき、朝総連の青年たちまで直接指導したのは有名な話だ。唯一指導体系によって、金正日が作戦部、対外情報調査部、統戦部、連絡部など対南事業の全般を直接指揮したときも、対南秘書は機能していた。金正日が後継者として「3号庁舎」を掌握し、日本人の組織的拉致を命じたときの対南秘書は金仲麟だ。
特に韓国を対象とした政治工作は、対南秘書が直接乗り出すケースもある。休戦後、韓国で摘発された主な地下党工作は対南秘書が直接関与きたことが確認できる。1970年代以降、南北対話の仕事は、統戦部担当だが、上層部工作の場合には、当然のことながら、対南担当秘書が直接出たことが多い。
韓国で金大中など左翼政権が登場し、対南秘書の活動が求められた。許鳳学以降2009年、現役大将として偵察総局長になった金英哲は、前任者たちよりも業績を上げようと絶えず無謀な挑発を続けた。
金英哲は金正恩の信任を背景に、対南秘書と統戦部長まで兼ねたが、政治軍人の金英哲の専横に対する軍隊内の反発と過度の力集中を懸念した金正恩が、張吉成上將を偵察総局長に任命した。金英哲も彼の前任者たちのように粛清か処刑が遠くないと思われる。
さて、3月5日、米国務省は、北韓を自国民に対する化学兵器使用などの理由で、対北追加制裁を断行した。昨年の2月、北側がマレーシアの国際空港で、使用が禁止された神経作用剤のVXで自国民を殺害したことが確認されたからだ。首領が人民を、それも「白頭血統」の自分の異母兄弟を殺した金正恩のテロ犯罪を断罪したのだ。
(つづく)