洪熒・本紙論説主幹
李承晩大統領の下野と関連して4月12日の閣議記録を見ると、李承晩大統領はまだ事態を正確に把握していなかった。李承晩大統領は、選挙がなぜ問題になったのかを質問しながら、馬山で金朱烈学生の死の報告を受けて、自分の責任を言い出し、すでに下野の可能性を示唆した。李承晩は、警察の発砲(4月19日)で、数百人の死傷者が発生した事実を後から聞き、4月22日、病院に駆けつけて負傷者たちを慰労した。李大統領は、「不正を見て立ち上がらない民は死んだ民だ。若い学生たちが本当に立派だ」と慰労した。李承晩は「警察が国民を殺すとは、国がどうして国民を殺せるの?」と、涙を流し、「私が辞めれば、人々は無事だろう」と心配した。
米国が下野を勧めたのも決定的な要因であるのは明らかだが、当時の国防長官だった金貞烈は、李承晩大統領の下野は自らの決断だったと確固として証言した。実際に、他の政治家たちなら「3・15不正選挙」のような状況なら、副大統領選挙のやり直しを指示する線で事態を収拾しようとしたはずで、当時の韓国人の情緒では、これを受け入れたはずというのが韓国現代史を研究した碩学たちの見解でもある。
3・15不正選挙の総演出者はもちろん、李起鵬の自由党だ。彼らは後に厳しく断罪される。李承晩を不正選挙の元凶と罵倒するのは間違いだ。不正選挙に関連した人々は皆、裁判所に立てられたが、李承晩大統領は不正選挙に対する責任問題で法廷に立ったこともなく証言を求められたことも全くない。李承晩大統領は今も法律的にも完全に無罪だ。
つまり、検察は李承晩大統領が下野するや直ちに「3・15不正選挙の元凶として崔仁圭前内務部長官(3月18日辞任)と韓熙錫(自由党中央委副議長)、李康学(治安局長)などに対して逮捕令を下した。検察は4月29日、崔仁圭を逮捕した。崔仁圭は、自分が不正選挙を指令したと述べた。
多くの韓国人たちが、特に共産主義者の謀略に騙されて「悪魔化された李承晩」の姿を描いては興奮してきた。だが、もうそういう幽霊との闘いは終える時だ。さらに李承晩がハワイへ亡命したというのは悪意的な謀略だ。
5月26日の未明、李承晩夫妻は、金浦空港で許政過度政府の首班の見送りを受け、台北から来たCATのチャーター機に搭乗した。これはしばらく休息をとるように過度政府から出国を勧められて外務部長官が発給したパスポートで出国したのだ。
政局収拾に協力する次元で、李承晩夫妻は軽い服だけを持って出国した。長期滞在は考えも準備もしなかった。延世大学校の柳錫春教授(李承晩研究院長)は、「李承晩大統領は、ハワイへ亡命したのではない。他意による長期滞在と言えるでしょう。韓国旅券を発給されて旅に出た前大統領を、当時の政府が死去するまで帰国を許さなかった」ことであり、「ハワイへ行く時、2~3週間の休暇をとるつもりだった」「米国に亡命を申請したこともなく、自ら亡命と思わなかった。亡命という言葉は、当時のメディアが作りだしたもの」と指摘する。
柳院長は「李承晩は留学と独立運動期間を含めて41年を米国で住んでいたが、米国の市民権を得たことがない。国籍はいつも韓国でした」「独立運動家の一部は、活動の便宜のため、中国旅券を作ったりしたが、李承晩は全世界を旅行しながら、米国務省が発行した臨時証書を使用した」と言った。
(つづく)