民団 呂健二新執行部 民団の救世主となるか

第54回定期中央大会参観記
日付: 2018年03月07日 00時00分

 在日韓国人の求心体を自負する民団が、新執行部を船出させた。呂健二執行部は、低迷する民団の救世主となりうるのか。(ソウル=李民晧)

三機関長の単独候補選挙

 拍子抜けした選挙だったといえる。コンサートや映画に例えるなら「興行失敗」との烙印を押された状態に等しい。在日同胞社会の求心体というプライドを持つ民団の歴史上、これほど無味乾燥な選挙は初めてだという声が少なくない。民団のある団員は言う。
「今回は6年前の団長選挙に比べ、出席者は半分以下だった。以前は簡易椅子が足りず、廊下での立ち見も多かった」
低調な出席率は、弱体化した民団の姿そのものを露呈しているようだ。
当選確定後に挨拶する呂健二団長
 原因は何か。まず、団長候補者の立候補があまりにも遅かった。候補者登録が1月中旬だったにも関わらず、候補者が現れたのは登録直前の1月初旬だった。民団中央団長の選挙はこれまで、候補登録3カ月前、早ければ半年前にも立候補者の輪郭が表れ、熾烈な競争が行われた。候補者らは、選挙運動期間前から水面下で離合集散し、各々が熱心な広報活動を繰り広げた。今回はしかし、噂すら聞こえてこないほどの静けさだった。
民団選挙がこれほどまでに無味乾燥となったのはなぜか。「団長求人難」といえるほど団長職に無関心となった理由は何か。
民団のある幹部は「団長職は大変な重責で、自費を投じる必要もある上に、四方八方から中傷を受ける。やりがいを見出しにくいのではないか」と話す。また別の幹部は「1世にとって、民団は祖国・韓国を代表する在日民族団体だった。身を粉にして尽くす覚悟もあり、同胞に対する深い愛情もあった。一方、今の2世の中でそのような自己犠牲を厭わない人がどれだけいるのか」と語る。

団員が団長を知らない?

 興行に失敗した映画同様、今回の選挙では、一般の団員間でも団長立候補者が誰か分からなかったという話もあった。もちろん、従来通り選挙演説は行われた。候補者らは2月3日から12日まで、東京、大阪、福岡、仙台、広島、名古屋の6都市で演説会を行い、自身が3機関長に足る根拠を力説した。
しかし、現場の民団関係者や公館関係者たちによると、演説は通過儀礼程度に過ぎなかったという話だ。候補者をはじめ、演説の内容に対する記憶も曖昧で、候補者の話から民団のビジョンが見えたという声も聞こえてこない。実際、候補者らは本人の経歴や優位性をアピールすることもなかった。新聞広告も一度も出していない。
民団は日本各地に48地方本部を置き、30万人の団員を抱えるマンモス組織だ。今回、団員も民団選挙を知らず、団長が誰かも分からないという無関心さが露呈した。これは、民団が極めて深刻な状況に陥っているといえる。

新鮮味に欠けた呂団長の所信

 民団中央選挙管理委員会(辛容祥委員長)は2月22日付で、所信表明資料集を発行した。呂健二団長の出馬の弁も記されている。
呂団長の公約の中で、特に強調しているのは「同胞の生活と権益をしっかりと守ります」という部分だ。詳細として(1)生活者団体としての役割を充実させる(2)ヘイトスピーチ根絶に注力する(3)地方参政権運動の再構築を講じる、などが盛り込まれている。
呂団長の所信に問題点を挙げるとすれば、マイノリティーとしての切実さと、日本社会に向けた闘争心が見られない点だ。さらに、本国・韓国との連携に対する具体性に疑問が生じる。
呂団長は在日同胞の代表として、日本政府や韓国政府と真っ向から折衝する覚悟を見せる必要がある。団長という立場を貫徹し、山積した課題を処理しなければならない。呂団長はどのようなリーダーシップを発揮し、民団に改革をもたらすのか。中央大会の場で漏れ聞こえた声からは、期待よりも憂慮が先立つことは否めない。
この日の中央大会で、民団に警鐘を鳴らしたのは洪性仁・前民団大阪本部団長だ。
「民団は創団から70年間、在日同胞のために在り、組織を守るために闘ってきた。諸先輩方は、組織のために闘争の血を流し、同志のために涙を流し、家庭のために汗を流せ、という教えを伝えてきた。新3機関が協力し、在日同胞のための組織として民団を発展させてほしい」


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