平昌冬季オリンピックが9日に開幕した。開会式は巨大太極旗を伴う入場から始まり、国旗掲揚式、愛国歌斉唱と続いた。式中に行われた公演でも太極パフォーマンスが披露された。これにより、かねてから懸念されていた太極旗の”失踪騒動”はいったん収束させることができた。しかし、南北選手団が単一チーム旗を掲げて入場した瞬間、観覧席では太極旗と単一チーム旗が入り乱れ、声援を送る対象もまた交錯している様子が浮き彫りになった。
(平昌=李民晧)
太極旗に冷然とした北韓・朝総連応援団
会場における記者の座席は、聖火台左側221番ゾーンだった。すぐ間近の220番ゾーンには北韓側の応援団の座席があり、真後ろには朝総連の応援団が座っていた。
米国から来た同僚の外信記者が、北韓応援団として観覧する男性(金氏・81歳)にコメントを求めた。男性はためらう様子もなく、はっきりとした声で語り始めた。
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北韓応援団と太極旗(撮影=李民晧) |
「韓国では、過去10年間続いた反民族的な政権が葬られた。まさに今、『我が民族同士』統一へと進む機会が再び到来した。敬愛する領導者・金正恩元帥様のおかげで、平昌オリンピックに来ることができて大変嬉しい」
ここは平壌だろうか―。我が耳を疑った瞬間だった。太極旗掲揚と愛国歌斉唱の場面で、韓国の支持者と北韓の支持者は明らかな姿勢の違いを見せた。韓国人や他の外国人たちが起立した際、朝総連の観覧者たちは戸惑いを見せていた。全員が起立したため、渋々ながら立ち上がった様子ではあったが、愛国歌斉唱では沈黙を貫き、太極旗掲揚でも冷然とした態度に徹していた。
開会式のハイライトは、南北選手団の入場だった。観覧席では歓喜の声が湧いた。記者の前席と左右の席では、韓国人が中型サイズの太極旗を振っていた。半面、北韓応援団は小さな人共旗を、総連は小さな単一チーム旗を一心不乱に振っていた。
220番から221番ゾーンまでの観覧席にいた韓国人のうち、単一チーム旗を持つ人は見当たらなかった。朝総連は声を張り上げ「統一高麗、高麗統一」のスローガンを繰り返した。耳をつんざくほどの声量だった。人数こそ数える程度だが、彼らの組織的な姿はまさに軍隊さながらといえた。
一般的に韓国を指す場合、韓国人は「コリア」と称する。これに対し、朝総連は「高麗」と称していた。高麗は1392年、朝鮮によって崩壊した王朝だ。その高麗を、ある種の人々は今なお”現存する国”であるかのように扱っていた。朝総連の観覧者らはまた、「平昌冬季オリンピック競技大会総連同胞応援団名前〇〇〇」と書かれたネームタグを胸につけ、自身の所属を堂々と示していた。
不可解だったのは、朝総連応援団の真横に民団の座席が配置されていたという事実だ。
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聖火点火(撮影=李民晧) |
開会式を終え、観客が概ね退場した後、北韓応援団は隊列を組み、すれ違う韓国人らに手を振りながら素早く移動した。朝総連のこうした一連の動きと対照的だったのは民団側同胞たちだ。胸に自分の所属を示す表示はなく、平昌まで往復する交通便は各自で確保した。徹底した個人プレーだ。民団中央本部からの参加者は、江原道の招待により訪韓した呉公太団長夫婦だけだった。一般観覧席には、体育会ほか傘下団体関係者の姿もあったが、不参加による空席も目についた。
南北選手の合同入場を目の当たりにした韓国人たちは、複雑な感情を口々に語った。
ソウルから来た59歳の朴ヨンミン氏(建築業)は「同胞がオリンピックに参加したことは喜ばしいが、違和感が拭えない。北韓の政治アピールが懸念されるが、それに振り回される国民はほとんどいないだろう」と話す。韓国人たちはやはり、分断された祖国の悲哀を感じ、太極旗ではなく単一チーム旗を掲げて入場した事実に対して遺憾の念を拭いきれない様子だ。単一チーム旗を歓迎している人々は”北韓の住民も同胞だから受け入れるべきだ”と信じている。
朝総連や北韓応援団は単一チーム旗を「統一旗」と称して熱い歓声を上げる。韓国人とは、物の呼称や感情の面で明白な温度差があるのだ。南北の体制の違いに対し、分断以降に流れた70年という時間の重さを再確認することができた。
朝総連の応援団は一方、開会式翌日の10日、江原道・江陵の黄永祚体育館で南北共同応援団発隊式に参加した。6・15共同宣言実践南側委員会も合流した。会場に集まった約1500人の関係者らは、「我が民族同士」と印字された応援用の風船と、「米国、日本は邪魔をするな」と書かれたプラカードを持ち、「我々はひとつだ」を連呼した。
インタビューに応じた朝総連の応援者は、「米国奴」「倭奴」など、反米・反日スローガンを声高に叫び続けた。それまでの冷静な姿から一転、彼らは開会式翌日から本音を露わにしたのだ。