大韓民国の建国史(98)李承晩大統領時代と建国精神に対する中間評価

日付: 2018年01月31日 00時00分

洪熒・本紙論説主幹

 李承晩大統領は自分を「状況ではなく、信念によって支配される人間」と表現した。彼の信念と確信は、客観的な情報と学習と知識に基づいたもので、透徹した炯眼と知識と勇気が加わったものだった。李承晩の慧眼は「韓国はアジアにおいての戦略の心臓」と確信していた。
後世に多くの人々が李承晩大統領を追憶しながら「何世紀に一人が出るかどうかの英雄」と評価した。6・25戦争中、米8軍司令官を務めたヴァン・フリート将軍は「李承晩大統領は自分の体重ほどのダイヤモンドの塊だ」と評価した。この李承晩というダイヤモンドからは民主主義と反日思想と反共主義、そしてキリスト教精神がきらびやかな光を放った。
特に徹底した反共主義が大韓民国の基礎となった。当時、共産全体主義が世界を席巻していたとき、反共民主国家を建てたのだ。反共法(国家保安法)を制定するときも、李承晩大統領が草案を直接指導して迅速に作った。李承晩をダイヤモンドにしたのは、長年の米国亡命生活だった。困難は多かったが、亡命地が最高の知性と見聞を鍛えられた広い大陸で、そこで近代国家を形成してきた、世界と歴史を見たのだ。
李承晩大統領は、英語はもちろん、漢文にも深い造詣があり、すごい実力を持っていた。李承晩大統領は男女を差別せずに能力があれば、女性にも重要な仕事を任せ、女性の力を最大限に活用した。これは李承晩大統領が、単に優れた学識と信念だけでなく、人間として円熟の境地に達しているからだった。
李承晩は、歴史の流れを変えた偉人だ。李承晩の特出した点は、若いときから外交の重要性が分かって、これを創造的に実行したことだ。また、外交力を支えられる力が足りない状態で、ジャーナリストとしての優れた資質を発揮した。
もちろん、彼の最大の業績は、まさに外交力を最大限に発揮して大韓民国を建国したことそのものだ。大韓民国は新生国の中で最も苦難を経験した国なのに、最も成功した国となった。この大韓民国の成功の基礎と軌道を正しく敷いた人物が李承晩だ。韓国人たちはまだ、事件や状況に目を奪われ、信念と価値を捉えられず、李承晩という巨木が分かっていない。
李承晩大統領の不幸は、この新生国で後継者となるような大きな抱負と能力を備えた人がなかったことだ。李承晩大統領が大統領の任期2期を終えて1956年に退任したらよかったと言う人が多い。だが、2期8年で退いたとしても、後継者が果たして建国精神を正しく継承して国を導くほどの人物がいたのかは確信できない。
それで、李承晩に対する評価は、建国過程と李承晩についてたくさん勉強した人ほど高く、全く勉強をしていない人々は、李承晩を低く評価する。自分が勉強したほど偉人が分かるようになる。
特に、李承晩大統領に対する評価が低い理由は、李承晩大統領がアジア大陸から自由民主主義勢力を完全に一掃しようと共産圏の戦略を挫折させたため、彼らが李承晩を徹底的に憎み、攻撃し続けたからだ。これは李承晩の後に反共民主主義を旗印に近代化を推進しながら、韓国をアジアの最強の反共の砦とした朴正熙大統領にもつながる。
韓国の一部の世代は今も、李承晩より、金日成が立派だと教育されている。これは今こそ切実に思う李承晩大統領の建国精神を教育していないためだ。
(つづく)


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