韓昌祐経営論 マルハンの企業倫理(7)

在日同胞の後輩たちへ「目は世界に、心は祖国に」
日付: 2018年01月24日 00時00分

ソウル・李民晧

 クラシック音楽、ファッションデザイン、マルキシズム。この三つこそが、韓昌祐氏が青年時代を勝ち抜くためのカンフル剤となった。中でも、クラシック音楽は同氏の人生とビジネスに大きな影響を与えた。
「法政大学在学中、肺結核で入院していた頃を思い出します。同じ病室に、早大生と明大生がいました。その2人には毎日、鰻丼などの栄養豊富な食事が届いていました。一方の私は、毎日味気ない病院食だけでした。唯一の楽しみがクラシック音楽だったのです。時間が許す限り、カセットラジオにイヤホンを差していました」
いつしか韓昌祐氏は、聴くだけでバイオリン奏者を判別できるほどクラシック音楽への造詣を深めた。大学を卒業し、初めて興した事業もクラシック音楽の流れる喫茶店だった。店名は「ルーチェ」。ラテン語で「灯り」または「光」を意味する。人生が希望にあふれたものになるよう願いを込めた。
ルーチェは1957年5月、京都北部の小都市・峰山(現・京丹後市)で開業した。人口1万5000人の田舎町だったが、京都の3大芸者村として、住民たちは文化的な自尊心を持っていた。人口の少ない峰山でのクラシック喫茶店開業を、彼は「当たる」と確信していた。
「テーブルはわずか6卓で、24人で満席になるようなこじんまりとした喫茶店でした。朝早く出勤してレコードをかけながら掃除をし、コーヒーを淹れることに心から喜びを感じました。音楽は時間帯ごとにテーマを決めました。午前中はシャンソン、午後はルイ・アームストロングに代表されるジャズ、夜はクラシック」
そこでも経営手腕を発揮した。ゆったりと音楽鑑賞ができ、出されるコーヒーの味には主人の真心が込められている。韓昌祐氏独特のユーモアを交えた会話も人気となった。客足は日増しに伸びていった。売上げが増え、建物を新築する資金が集まった。1階のルーチェをはじめ、2階では中華料理店と洋食店、3階では日本食レストランを経営した。建物は同氏の親族の拠点となった。
本格的にビジネスの世界に飛び込んで以来、さまざまな分野で浮沈を経験した。ボウリング業で全財産を失い、自殺まで考えた絶体絶命の瞬間もあった。借金の山に悄然としながらも、パチンコ業に再起をかけた。
パチンコは駅前や繁華街にあるべき、という固定概念を打ち破り、閑散とした町はずれに「郊外型パチンコ店」を開拓した「実験」は大当たりとなった。郊外であることにいささかのマイナスもなかった。徹底した立地分析に加え、顧客のニーズに合わせた店づくりを目指した。駐車の心配をせずにショッピングもパチンコもできるという「ワンストップ・アミューズメント・スペース」。このようなスタイルのパチンコ店は、韓昌祐氏によって初めて生み出された。
「カネを稼ぎ、収入を増やすには一生懸命仕事をすることです。さらに、ハングリー精神とカネに対する思い入れが加わると、より早く向上します。しかし、仕事より趣味を優先させると事業に支障をきたします」
ビジネスに対する同氏の持論は、次のようにまとめることができる。カネを稼ぐことは、すなわち技術だ。たゆまぬ努力で可能となる。より多く稼ぐならば、ハングリー精神を持て。だが、商いにおける道徳を害するほどの欲は絶対禁物だ。
「よく考えてみますとね、クラシックとパチンコ、マルクスとパチンコ。私の人生に欠かせないこれらは、互いに相反するものです。人生とは矛盾を克服していく過程なのかもしれません」 
カネを使うことは芸術だ、という持論を掲げる韓昌祐氏は、学術・文化・芸術分野への支援に多大な関心を寄せている。日本で運営している「公益財団法人韓昌祐・哲文化財団」と、母国・韓国で運営している「韓昌祐・祥子教育文化財団」が代表例だ。
前者は、韓半島や韓日関係の研究を支援し、両国の交流促進と両国民の相互理解を深めるために設立した。後者は、次世代人材育成の助成を目的としている。同氏はさらに、東京フィルハーモニー交響楽団と、晋州国際ドラマフェスティバル、江原道GTI貿易博覧会などの後援を惜しまず続けている。
栄養失調と肺結核に罹り、陰鬱とした病床にありながらもクラシック音楽を楽しんだ在日韓国人青年は、幾度もの荒波を超え、一大事業家となった。
いつしか卒寿に手が届く年齢となった現在もなお、事業への情熱だけは誰にも負けない。韓昌祐氏が語るキャッチフレーズは、在日同胞の後輩や、世界韓商の事業家たちにとって何より心強いメッセージとなるだろう。「目は世界に、心は祖国に!」
(おわり)


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