朝総連衰亡史(65) 首領たちの73年間の積弊と朝総連の運命

日付: 2018年01月01日 00時00分

 平壌の首領独裁体制の滅亡は、文明史の必然だ。今年は金氏王朝が正式に「建国」されてから70年を迎える。共産全体主義独裁体制が20世紀に出現した以来、70年以上続いた記録はまだない。49年間権力を行使していた祖父(金日成)の風貌をまねしている金正恩は、果たして米国を相手に勝ち抜いて共産全体主義70年の記録を更新するだろうか。
金正恩は血の粛清をすれば体制の維持が可能だと思っているようだ。それで今、世界中が平壌で行われるスターリン時代の処刑を見ている。黄秉瑞も処刑されたと伝えられる。人民の軍隊の序列1位の人民軍総政治局長は、初代の朴憲永から黄秉瑞まで皆粛清、処刑された。黄秉瑞の後任者も数年以内に間違いなく処刑される。
さて、北韓で歴代の国家安全保衛部長も総政治局長と同様に全員が粛清、処刑された事実は、朝総連もよく知っているはずだ。軍を監視しても人民を監視しても、彼らも結局、誰かに監視されて殺される。こういう体制を支持して支援してきたのが朝総連だ。
旧ソ連や東ドイツも解体の直前まで今の金正恩体制よりもはるかに強固に見られた。ソ連も東ドイツも軍と住民監視の体制を徹底して整って置いた。だが、消滅の寸前まで、ソ連と東ドイツのあっけない消滅を予想した外部世界の人々はほとんどいなかった。もちろん、当時もその体制の中の人民たちは感じていた。それを言えなかっただけだが、そういう空気はモスクワもベルリンも報告を受けていなかった。つまり、金正恩体制の寿命は、北韓住民たちが感じている通りになるだろう。
ところで、朝総連は架空の神話を信じて礼拝してきた。朝総連に今の状況が永遠に続くと信じるのか。朝総連が崇拝してきたのは「積弊」だ。朝総連はロウソク主思派政権の「積弊清算」を応援しているが、自分たちが忠誠を尽くしてきた首領たちこそ、韓半島の最大の積弊なのだ。首領が積弊である証拠を科学的に見て見よう。
1945年8月、韓半島が植民地から解放されたとき、韓半島の住民の体格は、北韓地域がもっと良かったという証言もある。北韓には各地の革命博物館に6・25当時、米軍と国軍が数多く住民を虐殺したと宣伝しているが、韓国戦争のとき、多くの北韓住民が避難民として戦線を超えて移動したのは、米軍と国軍が占領している南の方だった。南から北へ避難した住民はなかった。1955年、朝総連が結成される時点で、韓国と北韓の兵士たち、住民の健康状態は、ほとんど差がなかった。
だが、それから二世代が過ぎた今、南北の体格と寿命の差は同じ民族と言えないほどだ。20代の兵士の身長は15センチ以上の差が開いた。このこともすでに1980年代には朝総連社会では皆分かっていた。科学的に研究し調査される前だった。つまり短期祖国訪問団を通じて広く知られたのだ。それもそのはずで、20年前の北送し地上の楽園で暮らしている娘が在日の母より老いていたのだ。
人民たちが飢えていたとき、金日成、金正日、金正恩は放蕩な生活を、夜を楽しんでいた事実は極秘にされたが、やがて皆が分かるようになった。保衛員の前で皆が知らないふりをするだけだ。「積弊の神」は今日も、人民の礼拝を受けている。首領は戸籍も住民票も公開されないため妻たちが何人か分からない。
今年も金正恩の前に行われる「2018年説の新春公演」に参加するために、第31次「在日朝鮮学生少年芸術団」が平壌に滞在している。朝総連は、失敗国家、監獄国家に忠誠を誓うため、血の粛清が続いている所へ、朝鮮学校から男女の生徒たちが送られた。人身御供の残滓なのか。
朝総連は北を社会主義の理想の祖国と呼びながら、その首領の懐への自由訪朝を今まで一度も求めず、米帝が強制占領しているはずの韓国へ自由訪韓を求めている。ちょうど、6・25戦争のとき、北の住民が自由を求めて南の方へ避難したのと同じではないか。
朝総連が「ロウソク主派政権」に自由訪韓の請求の権利があると言うらしい。そもそも自分たちが主思派だから、主思派同士の義理を期待してのことかも知れない。もっとも、文在寅の秘書室長の任鍾晳は朝総連がやった北の著作権の徴収を代わりにやった者、つまり朝総連とは同志関係だ。
さて、先日、中国を国賓訪問した文在寅は、中国では自分が「ロウソク革命政権」を代表する者と言えなかった。(つづく)


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