朝総連衰亡史(63) テロと独裁の輸出で第三世界まで地獄にした金日成 

日付: 2017年12月01日 00時00分

 朝鮮新報11月15日付には「対話こそが唯一の道」という記事が1面トップとして掲載された。朝総連は平壌の指令に基づいて対話と平和を強調するが、果たして朝鮮労働党とその在日党の朝総連が対話と平和を語れる資格があるだろうか。
朝総連はこれまで首領ばかりを見るように洗脳されてきたが、結論から言えば、朝総連が神として崇める金日成はテロと独裁で北韓を地獄にしただけでなく第三世界の国々も地獄にした。
北韓は1945年8月、ソ連占領下で兵営国家となり、6・25戦争後、東西冷戦でソ連の手先になって世界中にテロと独裁を輸出した。北はまた、中・ソの手先として第三世界へ核とミサイルを拡散させた。金日成は死ぬまで、世界の紛争地域に軍隊を送り武器を売った。
金日成はソ連、中国、リビア、キューバ、モザンビークとの軍事同盟を結んだ。他にも、ベトナム、エジプト、シリア、イラン、パキスタンなどと事実上の同盟関係を維持した。その中でも密かに原子炉を建設してあげたシリアや、今も核ミサイル協力を続けるイランとは秘密軍事同盟を結んでいると思われる。
金日成が第三世界の多くの国々を地獄にした例を、クーデターで37年間の独裁権力を失った(11月21日)、ジンバブエのロバート・ムガベを通じて見てみよう。
ジンバブエは1980年に独立前の国名はローデシアで、アフリカで最も豊富な白人国家だった。ムガベがこの国を駄目にし始めたのは独立直後、金日成に会い帰ってきたからだ。ムガベは金日成に会ってから、金日成のやりかたを自分の拳統治に導入した。自分の誕生日を金日成のように祝日とし銅像を建て、反対者を粛清、拷問、洗脳するのも、金日成を真似た。
金日成が崇拝の対象となっていることを見てムガベは主体思想を翻訳して勉強するなど金日成主義を真似した。ムガベはアフリカの金日成と呼ばれた。2010年、北韓が「ノアの箱」計画と呼ばれた動物のコレクションに呼応、アフリカの珍しい動物を送った。北も500万ドルがかかるムガベの銅像を建てた。
昨年4月、金正日の誕生日の祝賀行事を開いたのもジンバブエだ。金日成死亡22周年に金日成の銅像に花束を送った。独裁者たちは金日成を羨望した。ルーマニアのチャウセスクも金日成の弟子だった。金日成を真似た独裁者たちは結局、金日成のように、自国を台無しにした。
ムガベは金日成に会って変わった。独立後も仲良く共存を約束した白人たちを敵対し彼らの土地を奪った。白人が去るや経済が崩壊した。反対派を粛清した。北韓軍が訓練させた第5旅団は、内戦で反政府勢力を鎮圧しながら少数部族2万人を虐殺した。ムガベは独立運動の時から、北韓軍の支援を受けた。北韓軍約3500人がジンバブエに基地を置き、アンゴラ、モザンビーク、エチオピアの独裁政権を支援した。
ムガベは選挙で勝つためポピュリズムの経済政策を取った。仲間たちに特恵を与えるため貨幣を乱発し、ジンバブエの物価上昇率は、年間5000億%を記録したこともある。1700万の人口のうち300万人が国外へ逃げた。金日成のように権力世襲を図ったが失脚した。第二夫人に権力を渡すため独立運動の同志である副首相を解任したが反撃されたのだ。国を建設するには時間がかかるが、駄目にするのは一瞬だ。
ムガベは金日成が死んでから毎年、金日成追慕集会を開く。彼は2013年、北に核兵器製造に使われるウランイエローケーキを売った。
チャウセスク、ムバラク、カダフィも金日成に会ってから人が変わったと言われる。ムガベ、アサド、チャウシェスクなどは悪霊である金日成に魂を奪われた独裁者たちだ。皆が国を亡ぼし、国民を苦労させた。
民主的指導者は、独裁者に軽蔑感と憤怒を覚えるが、非民主的な指導者は独裁者の前で小さくなる。独裁者たちは、自分よりひどい独裁者に会えば、彼の真似をしようとする。韓国でも、金日成に会ってから人が変わって人生を駄目にした人々がいる。金大中と盧武鉉も、金正日の前で卑屈に行動した。二人が果たして民主主義者だったと言えようか。
アフリカで北韓と最も近かった独裁者の一人が消えたことで、金正恩の指一本が切られた。37年間独裁をしたムガベが単に崩れるのを見た北の支配層の計算は複雑だろう。
金日成が地獄にしたアフリカを韓国が立て直している。文在寅は、マニラで開催されたAPEC会議で、外国の首脳たちからセマウル運動支援に感謝された。削減予定だったセマウル運動支援事業予算が増額された。(つづく)


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