日本人と韓国人―私の道のりと生き方―(7) 「親日派」本来の意味は 

韓国では反国家的な国民の総称に
日付: 2017年11月22日 00時00分

尹仁鉉

 ところで、1976年の金大中事件は拉致だったのか。形は拉致であったが、朴大統領の意図は違っていた。
大統領が進めていた10月維新は、挙国的な対北対策のため、力の集結が急務だった。そのためには、対話を進める人物が必要であった。朴大統領の指示は「金大中先生をお連れするように」とのことであった。しかし、当の金大中は、政治的報復を恐れ、話に応じなかった。彼は日本からの帰国を拒否した。こうして度を越した忠誠心が拉致という強硬手段に変わり、問題が発生した。
私が思うに、韓日両国は金大中事件の合同捜査内容を公開しないことで合意していた。その内容を一方的に公開したのは、韓国の機関ではなかったかと思っている。それより大事なのは、今の韓国の基礎を作ったのが誰なのか、いつなのか、それを知って感謝すべき人まで否定する必要はないということだ。
「親日派」。これは本来、日本のことを良く知り、親しみを抱いている人を指す言葉であるはずだ。しかし韓国では、一部の勢力により反国家的な国民の総称として用いられる。
特にほとんどのマスコミをはじめ、悪意に満ちた人たちが、無理に両国の関係を悪くしようとしているように映る。しかし、このようなことで両国の関係が崩れることはないと確信している。若い人にも中年にも老年にも、国際情勢を正確に把握している人はあふれている。そうした人たちは、両国がともに、世界平和を導かなければならないという考えでも一致している。また、すべての年齢層において、韓国人の中には日本に対して好感を持っている人が多い。その単純な証しとして、日本語を学ぶ人の数が非常に多いことが挙げられる。私の妻は日本の大学出身だが、いろいろな所から、韓国語教員として採用したいとの提案を受けた。個人宅で大学生を相手に日本語を教えたこともある。
開かれた国では、互いに話し合い、理解し合い、相手を大切にいたわることができると思っている。だが韓国内では、違う意見に耳を貸そうという人が少ないように思う。特に政治的なテーマにおいて、その傾向は強くなる。私はそういう人たちと出会った際、相手の言葉に反論しない。むしろ、その話題に触れないようにする。
自分が信じたいことはむやみに信じ、信じたくないことは否定する傾向もある。相手の主張も聞くべきなのにしない。もちろん調べることもしない。
韓日両国の関係は、テレビや新聞を見る限り、最悪の状態である。しかし両国は、常に話し合い、助け合っていた。私の見解を結論的に申し上げるのは失礼であると思うが、あえていえば韓国側が助けることよりも、助けられることが多い。
私は常に感謝し、いつか必ずお返ししたいと思っている。神に対し、赦しを請い求めて祈る。今の韓国を立て直した我が先輩にも、日本の先輩にも心から感謝し、尊敬している。特に日本の天皇家、岸信介先生、佐藤栄作先生、田中角栄先生など、挙げればきりはないが、その内容と理由を、紙面が許す限り述べようと思っている。
しかし、北朝鮮の金一族は別だ。私は彼らの赦しまで請うことはしない。
韓国動乱の時、私の父は家族の前で銃殺された。三つ年下の弟は北に拉致され、今も生死が分からない。毎日、彼らも赦されるように祈ろうとはしているが、しょせん人間。嫌なものまで赦すことは不可能だ。(つづく)


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