大韓民国の建国史(92) 「絶望しないで、われわれは決してあなた方を忘れない」 

日付: 2017年11月22日 00時00分

洪熒・本紙論説主幹

 米国が休戦協定を締結するには、抵抗した李承晩を除去するか、李承晩が要求を受け入れるしかなかった。この危機の瞬間、李承晩とジョージ・ワシントン大学とプリンストン大学の同門であるダレス国務長官が「韓国で米国が戦っている名分に背馳する計画と行動は考えられない」と言い、米8軍が作成したクーデター計画(エバーレディ)に強く反対した。
アイゼンハワー大統領は、ウォルター・ロバートソン国務省次官補を大統領特使として韓国に派遣した。李承晩大統領との会談は、6月24日から2週間、14回も続いた。李承晩大統領は、米国が歴史的に韓国を2回裏切ったと指摘した。結局、ロバートソンは、「韓国がアジアの民主主義の展示場になれるよう莫大な援助を提供する」と李承晩に確約した。
米国は、(1)停戦後、韓米両国が相互防衛条約を締結する。(2)米国は、韓国に長期的経済援助を提供し、1段階として2億ドルを提供する。(3)米国は、韓国軍の20個師団と海空軍力を増強させる。(4)両国は休戦後90日が経過しても、政治会談で成果がない場合は、この会談から脱退し、別の対策を講じる。(5)韓米両国は政治会談を開催する前に、共同の目的に関して、両国間高位会談を開催する。
李承晩大統領は米国の提案を受け入れた。韓米相互防衛条約締結のための会談で李承晩大統領はダレス米国務長官に、「もし、平和的な交渉を通じて、われわれの共同目的を達成できないときは、どうするか」「戦場で勝ち取れなかったことを(政治)会談のテーブルの上で譲歩してくれるはずと、共産党にどう期待できいるか」「(停戦後)90日以内に政治的な方法は、われわれの共通目標の達成に効果を上げられない場合、米国が戦闘の再開に同意するか」と追及した。
李承晩大統領とダレス国務長官は、合意をできなかったため、共同声明を発表しないことにした。李承晩大統領は休戦協定に署名しないが「妨害しない」とした。
韓米両国は1953年8月8日、ソウルで「大韓民国とアメリカ合衆国との間の相互防衛条約」に仮署名した。ダレス国務長官は仮署名した後、「この条約は、我々の青年たちの血で封印された」と宣言した。
李承晩は、北進統一の夢を放棄する代価として韓半島で戦争が再発すれば、米国の自動介入を保証され、韓国が70万の大軍を保有するアジアの軍事強国に浮上する基盤を作ることに成功した。条約の仮署名の翌日の8月9日、李承晩は全国民に「韓米防衛条約が締結されたため、わが子孫たちは代々にこの条約で、様々な恵沢を享受する」との談話を発表した。
8月10日、李承晩大統領は休戦に関する自分の立場を表明する声明を発表した。
「休戦協定は、戦争を減らすものでなく、もっと大きな戦争の準備行為であり、もっと多くの苦難と破壊を意味し、戦争と内乱による共産党のより多くの侵略行為の序幕になるという私の信念のため私は休戦協定の署名に反対しました。今、休戦が署名された状況で、私はその結果に対する私の判断が間違っていたことを願うだけです。(中略)われわれの可哀相な同胞たちに私はそう叫ぶところです。絶望しないでください。われわれは、決してあなた方を忘れず、見捨てません。われわれは、失った以北5道と北韓同胞たちを取り戻し救う韓国国民の根本目標は、過去のように、将来もそのまま残っています」(つづく)


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