高麗青磁への情熱―113―

日付: 2017年10月12日 00時00分

京都行(五)

柳根瀅
高徹・訳/馬瑞枝・画

 翌日、千恵子が遊びに連れてゆくというのでついていくと、やはり汽車に乗り、着いた先は広島だった。今度は四泊五日の旅行である。昼間は名勝地や遺跡を巡り、夜は旅館で寝るといった日程が繰り返された。この旅行は鈴木側に何か魂胆があったのだろう。旅館ではひと部屋に寝具を二つ敷いてあった。寝る時間になると、私の苦しみは並大抵ではなかった。うら若い男女が並んで寝るのだから、なかなか眠れないのだ。女の方では、一つ部屋になるのだから先に男からに
じり寄ってくるのを待っている。こちらは日本女が襲ってくればどうしようかと身構えて眠ることができない。千恵子の方は、反対にどうすればこの男を誘えるだろうかと考えて眠ることができないのだろう。なかなか眠れないようだった。彼女は芝居をうち始めた。うーんと言いながら布団を蹴ったりする。その下半身が薄明かりのもとで、異国に来た男の心をしきりにくすぐった。千恵子は二四歳の娘だった。そんなことの繰り返しで、広島は私には苦悩の場だった。
広島から戻ってきた次の日、鈴木が私を外に連れ出した。今度は東京である。最初に行ったところが九段の靖国神社だった。
靖国神社内の遊就館の天井には、おもちゃのような飛行機が吊るされ、軽く揺れていた。飛行機の胴体は籐でできており、翼は薄い絹で被われていた。金属の部分といえば、エンジンだけで、プロペラも軽そうな木でできていた。
靖国神社内のあちこちを見て回り、上野公園、日光へも足を運んだが、まだ早春の頃で、桜の花もやっと蕾がつき始めたばかりだった。
再び東京へ戻り、そして横浜に行った。横浜港内にはいろいろな国旗をつけた大型船舶がいっぱいで、まるでヨーロッパにでも来た気分だった。ここの人たちはほとんどが英語を喋った。イギリス文明が最初に入ってきた所なのか、英語も上手だった。
イギリス人が初めて日本にやって来たときは、インドのように属国にしようとしたが、事情が違った。日本人は一貫して何でも反対し、死でもって対抗した。イギリス軍数個師団が横浜から汽車を利用して東京に向かったとき、多くの日本人はレールの上に横になって彼らの入城を阻止した。汽車に轢かれて死んだ者たちの死体は、とても見ていられないほど凄惨だったという。彼らはイギリスと闘うとき、力ではなく死で立ち向かったというのだ。結局、イギリスは両手を挙げてしまった。この時、伊藤博文はイギリスと手を握ってイギリス文化を受け入れ、明治天皇をどこまでも推し立てることにしたのである。


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