大韓民国の建国史(81)スターリンの介入 波乱が予定された休戦会談

日付: 2017年09月06日 19時38分

洪熒 本紙論説主幹

 休戦協商が難航したのは、当初から韓国戦争で毛沢東と米国を戦わせ、両方が消耗するよう企画した、スターリンの戦争意図によるところが大きかった。状況を正確に理解するため、休戦協商が開始された経緯に戻ってみよう。
国連軍司令官であるリッジウェイ将軍は、ワシントンから共産軍側に送る休戦提案文を受け取った翌日の6月30日の朝8時、ラジオ放送で共産側に、休戦会談の準備のため、元山港に停泊中のデンマークの病院船で接触しようと提議した。UP通信が前日、国連軍の正式提案に先立ち、米国政府の休戦提議決定を報告するや、金日成は毛沢東に意見を求めた。
毛沢東はスターリンに、会談開始日を7月15日にし、会談場所を開城にするのがいいとの意見を示しつつ、スターリンのる見解を伺い、この方針を金日成に伝えてほしいと要請した。ところがスターリンは、休戦会談を毛沢東が主導し、金日成にも直接連絡事項を伝えるように言い、ソ連はアドバイスだけすると通告した。しかし、実際にはスターリン自身がリッジウェイへの回答文案を作成して毛沢東に送るなど、事実上、休戦会談を背後で指揮した。
毛沢東から通告を受けた金日成は7月1日、スターリンに北韓側代表団の名簿と、国連軍側に提案する内容を送った。会談のための予備接触問題は、毛沢東と金日成が電報で議論し、7月1日、北京放送を通じて、金日成と彭徳懐の共同名義で国連軍側の休戦提案を受け入れると公表した。
7月10日に開催された本会談には、国連軍側代表団に韓国軍代表として白善燁将軍が参加。国連軍の首席代表であるターナー・ジョイ提督は、基調発言を通じて、(1)休戦に関するすべての条件に合意するまで、会談期間中でも双方が合意した中立地帯を除く韓半島の全域で戦闘が続くこと、(2)双方は誠意をもって戦争再発防止を保証する休戦協定をつくるよう努めること、(3)協商の範囲は、韓国内の軍事問題に限定すること、(4)いかなる経済的・政治的問題や、韓国と関連のない軍事問題は討議しないこと、と釘を刺した。
しかし、共産側はできるだけ早い段階ですべての外国軍隊を撤退させるべきだと主張。外国軍隊の撤退問題は、国連軍側が共産軍側に休戦会談を提案したときに議題から除外した問題で、ジョイ提督が初の会議でも議論しないと提案した政治問題だった。北韓の南日は翌日も、外国軍隊の撤退なしでは休戦が保証されないと言い、この問題を議題に入れるよう主張し続けた。
共産側がこの問題に執着するや、アチソンは7月19日、公式声明で共産側を非難した。彼は「外国軍隊の撤退問題が政治的問題なのか、軍事的問題なのかは論争の対象でない。国連軍は、該当国の政府が、国連の要請に呼応して軍隊を派遣すると決めたため、韓国に来ている。国連軍は侵略を撃退し、国際平和を回復するため韓国に派遣された。国連軍は休戦が発効されても真の平和が確保され、韓国国民が侵略の脅威から解放されるまで駐留すべきだ」と述べた。アチソンは続いて「以前、韓国問題を解決に導こうとする国連の計画の一環として、外国の軍隊が韓国から撤退したことがあった。しかし、共産主義者は、国連のこのような努力を無視し、大韓民国に対する侵略を敢行した。韓国国民は、このような行動が二度と繰り返されないという保証を受ける権利がある」と付け加えた。アチソンの談話は、ニューヨーク・タイムズに特筆された。(つづく)


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