【朴正煕】独裁の打倒が民主主義ではない―上― 

醤油だけがおかずだった韓国人に牛乳が飲めるようにした革命家
日付: 2017年08月15日 00時00分

今なぜ朴正煕・朴正煕生誕100周年なのか

 弾劾事態で大韓民国の総体的な危機状況が隠せなくなった。経済、安保、政治危機が三角波のように押し寄せている。このすべてが朴正熙時代と、朴正熙精神を否定して、逆の方へ走った結果だ。今の危機的状況は、朴正熙否定の決算書と言えよう。
文在寅大統領は、大韓民国の建国69年中、金大中・盧武鉉と自分のほかは全部清算すべき積弊と宣言した。いつまでも過去と戦うのはうんざりだが、朴正熙生誕100周年を迎え、彼が積弊だったのかを、近代化に命を捧げたその生涯を通じて検証してみる。
李承晩大統領(右)と朴正熙第5師団長(1955年11月)
 朴正熙の精神を否定し、破壊した中心に「386世代」がある。すでに「586世代」(50歳代で80年代に学生時代を過ごした60年代生まれの人)になった彼らは今、改憲を提起しているが「1987年体制」は、民主化を超えて韓国社会の総体的な左傾化を加速させ、韓国に士農工商を復活させた。
正しい歴史観を持つことは、航行に出るときコンパスを持つのと同じだ。成功には成功の要因が、失敗には失敗の理由がある。72年間分断された韓半島の現状変更が、いま始まった。
核武装した金正恩が、米国に事実上の宣戦布告をした。この戦いの過程で韓半島の運命は、次の段階に入る。在日同胞も過去の歴史だけでなく、未来の方向性を予測する必要がある。
今、李承晩と朴正熙大統領が生きていたら、今の危機をどう乗り越えようとするだろうか。想像してみるだけでも、愉快で勇気を得る。
韓国では近年、李承晩と朴正熙の研究が活発になり、二人の大統領こそ、韓国の歴史において五百年か一千年に一度出現する巨人だったというのが改めて認められ、感謝する動きが広まっている。多くの若者が、大韓民国にこのような英雄がいたことを誇りに思っているのも事実だ。
統一日報は、今秋の朴正熙生誕100周年を前に、これまで断片的にエピソードとして扱われがちだった朴正熙時代と、大韓民国の現代史の意味を文明史的観点から伝える。ソウルの朴正熙記念・図書館が取材に協力してくれた。
朴正熙はどういう人物か
朴正熙には、誤解されている部分が多い。朴正熙記念・図書館は、かつてのゴミ埋立地のすぐ近くにある。文在寅政権が、朴正熙生誕100周年記念切手の発行を中止させたほど、朴正熙を大韓民国の歴史から消そうとする左翼の力が強いことを痛感した。
ソウル市や麻浦区はもちろん、最寄りの「ワールドカップ競技場駅」にも、簡単な案内すらない。朴正熙は死後38年の今も、左翼に嫌われている。だが、左翼のそういう努力は意味がない。大韓民国全土が李承晩と朴正熙記念館であり、博物館だからだ。
漢江の奇跡は、朴正熙の創案だが、朴正熙を育てたのは李承晩であり、6・25戦争だ。人類の歴史上、人口5000万人以上で1人当たりのGDPが3万ドル(購買力基準)を超えた自由民主主義国家は、7カ国(米国、日本、ドイツ、英国、フランス、イタリア、韓国)だけだ。李承晩の哲学的設計の上に、朴正熙がその価値を具体化、システム化、形象化したのが韓国だ。
建国大統領の李承晩と朴正熙は、自己成功の犠牲者でもある。李承晩と朴正熙は独裁者と呼ばれるが、一体独裁をせずに建国と革命ができただろうか。
李承晩は、国軍の建設と国民教育に心血を注いだ。朴正熙の革命の動力は、、6・25戦争を通じて歴史上韓半島に初めて出現した国軍、将校団だった。朴正熙は李承晩が留学させた2万人のエリートの一人だった。
朴正熙は、同時代の韓国人の誰よりも海外見聞が多いが、大統領になった後は米国、西ドイツ、フィリピン、ベトナムなどのほかは、ほとんど外遊をしていない。彼は自分の仕事場だった大韓民国の隅々を回るため、18年間、外遊する余裕がなかった。
文在寅政権を誕生させた韓国の従北・主思派は、大韓民国に感謝しない。彼らは大体、大韓民国の建国史に無知か、大韓民国憲法を否定する社会主義(共産主義)思想を持っている。歴史は、教養のない者が強大な権力を持つと、世の中をどれほど駄目にするかを物語っている。
李承晩12年、朴正熙18年、全斗煥7年と続いた歴史が、今日の大韓民国を作った。特に、建国から13年後に決起した5・16こそ、真の革命だ。その時代に斬新なビジョンを持った将校団がいたのは驚きだ。(中に続く)


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