木下 公勝
英範は、私たちを一軒のログハウスに案内してくれた。ドアには持ち主の住所と名前を書いた表札がぶら下がっていた。中は8畳ほどの部屋二つに6畳ほどの台所という、簡素な構造だった。だがベッドもソファも食卓もあり、食器棚には食器も完備されていた。
英範は、事前に持ち主に電話で2日間部屋を借りる許可をとっていたのだという。家のオーナーとは、英範がバイカルに遊びに来た時に知り合ったという。自分たち家族は6月に行く予定だから、それまで自由に使ってもかまわないと電話で話したらしい。
英範は言った。
「もともとロシア人は朝鮮人みたいにケチでなく、一度信用したら、車もオートバイもいつでも貸してくれる。金を貸して期限までに返ってこなくても、相手が生活に困っているようだったら、『もう返さなくていいよ』と言って、それ以上催促しない人もいる」
ロシア人は器が大きい半面、他人のものでも自分が欲しくなったら「それをおれに譲ってくれないか」と平気で言うらしい。相手が特に大切にしているものでなければ「いいよ、持って行きな」でOKなのだとか。私たちとはまったく違う民族だった。
私たちはその別荘で1泊し、持っていった食料で朝食を済ませて湖畔に出た。昼頃になると、湖畔では家族、友人、恋人同士が、車座になって座り、飲んだりおしゃべりをしていた。音楽を流して唄ったり踊ったりして楽しんでいる人もいた。そういう光景は、私にはめずらしく映った。
同じ社会主義国家でも、北朝鮮よりはるかに開放的な雰囲気で、自由な暮らしをしているようだった。
そんなことを思っていると、ふと英範がある若者の集団に近づいていった。何か言葉を交わすと、若者の1人が酒ビン一本を英範に渡した。英範はその場で一口ラッパ飲みをしてビンを返した。すると、今度は若い女性が立ち上がってバーベキューで焼いた肉の塊を彼の口の中に入れて大笑いした。
英範は私たちの所に戻ってきて、何が起きたか説明してくれた。彼は若者たちに「俺は最近、ロシアの女の子に振られてとても悲しいんだ。慰めに一杯くれないか?」と言ったという。そこで相手が「それは気の毒ですね。このお酒でも飲んで気晴らしをして下さい」と言って、酒のビンを渡してくれたのだという。彼らは「ここに一緒に座って遊んでいってもいいですよ」とまで言ったそうだ。
彼ら男女7人は大学生だったそうだ。英範は「ロシア人がどんな性格の民族なのか、君に見せてあげるためわざと演技をしてみたんだ」と、その意図を話してくれた。
前述したように、英範はロシアで生まれ、そこで青春時代を過ごした。だから正直で痛快な心の持ち主だった。彼は、父と一緒に元山に行ったことを一生後悔していると言っていた。家族が北朝鮮にいなければ、きっとソ連に逃亡していただろうとも。
翌日はバイカル湖でボートに乗って魚釣りをした。金を払うと釣り道具も貸してくれた。3人でバイカル鮭を4匹釣った。午後は付近の森の中に入って、シベリア特産のブルーベリー狩りをした。それは料金いらずで、自由に採って食べることができた。そのあたりの森には、背の低いブルーベリーが自生していた。茂みは見渡すかぎりに広がっていて、ロシア人の姿も見えた。彼らはブルーベリーでジャムを作り、パンに塗って食べるのだという。
北朝鮮の労働者も、休みの日にブルーベリー狩りをしてロシア人や直売店に売って小遣いを稼いでいるという。しかしそこには彼らの姿は見えなかった。
その日の夜は釣った魚を焼いて食べた。夕食が済むと、英範は北朝鮮採伐労働者のいろいろな話を聞かせてくれた。そのほとんどは、事故に関するものだった。もともと専門的な技術を持っていない人たちだったので、作業中の人命事故は絶えなかったという。採伐事故だけではなく、木材を運搬中の交通事故も多かったそうだ。(つづく)