大韓民国の建国史(77)戦後史と韓国戦争の行方を変えたスパイたち

日付: 2017年07月12日 21時57分

洪熒 本紙論説主幹

 戦争の決定的局面を左右するのは、戦場での壮絶な戦闘だけでない。開戦前、戦略的優勢や戦争の行方が決まる場合も少なくない。戦後日本では戦史の研究は人気がなく敬遠され、場合によっては左翼の攻撃目標になったため、こうした研究をする知識人は少ないが、それが厳然たる歴史だ。
日本では、太平洋戦争で日本の運命を左右した伝説的なスパイの中ではソ連のリヒャルト・ゾルゲが有名で、彼は日本当局に逮捕され処刑されたが、日本にもっと大きな戦略的敗北を与えたスパイは米国にいた。
日本が対米開戦を決心するよう罠に陥れた張本人、つまりハル・ノートを作らせた米財務省次官のハリー・ホワイト、日本の敗戦時、ソ連が北方領土を占領するようにフランクリン・ルーズベルト大統領を欺いた米国務省高官のアルジャー・ヒスなど、米政府の中に布陣していたソ連のスパイたちの活躍なしでは、第2次世界大戦時の米ソ同盟の背景は分かりづらい。日本の運命はもちろん、前後の世界秩序が決定されたヤルタ会談で、スターリンはルーズベルトの戦略を事前に知っていた。
米政府の核心部に布陣していたソ連のスパイたちは当然、世界大戦の縮小版と呼ばれた韓国戦争の行方にも影響を及ぼした。米国の盟邦である英国政府の中枢に根を下ろしていた「ケンブリッジ・ファイヴ」―キム・フィルビー、ガイ・バージェス、アンソニー・ブラント、ドナルド・マクリーン、ジョン・ケルンクロス―が米情報機関と深い連携を結び、西側の最高機密をソ連に提供した。彼らは、韓国戦争でも共産陣営のために決定的に活躍した。
キム・フィルビーは、スターリンが金日成の南侵戦争計画を承認する決心をするのに決定的な情報を提供した。彼は韓国戦争中、ワシントンに派遣された英国情報機関の責任者、つまり、米CIAと英MI‐6の連絡官として、CIA局長ら幹部たちと接触し、両機関の情報交換に介入した。フィルビーがCIAから得た韓国戦争に関する最高級情報は、やはりMI‐6本部内のソ連スパイだったドナルド・マクリーン(外務省米国担当官)を通じてリアルタイムでソ連に渡った。
マクリーンは、ワシントン駐在英国大使館の原子力政策担当官で、ガイ・バージェスは2等書記官だった。この二人は駐米英国情報機関の責任者だったキム・フィルビーの指揮を受けていた。マッカーサーに満州地域を爆撃しないよう指示した事実、マッカーサーを解任した理由が、彼らソ連スパイの活動と関係があったのかなどは、今後多くの研究を通じて究明されるべき課題だ。
モスクワのスパイたちが中共軍の韓半島侵略と関連していたのかは解明されていないが、いずれにせよ、毛沢東はマッカーサーの予想と異なり、韓半島に大軍を投入し、国連軍の展開や鴨緑江地域に対するワシントンの政策方向などを正確に知っていた。
スターリンと毛沢東は、キム・フィルビーやマクレーンなどが提供した情報を通じて、米国の韓国戦争関連戦略を見抜きながら戦争を有利に導くことができた。ソ連のスパイたちは、米指導部が中共を原爆で攻撃しないこと、戦争が中国本土に拡大されないことを探知してモスクワに伝えた。
李承晩の努力はもはや、戦争での勝利ではなく、韓半島の分断を永久化する休戦協定を阻止する方へ旋回する。これは休戦を望む大国との衝突コースに入ったことを意味する。(つづく)


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