洪熒 本紙論説主幹
リッジウェイ将軍の後任の駐韓米軍司令官に、ジェームズ・ヴァン・フリート中将が任命された。ヴァン・フリートはノルマンディー上陸作戦のときに連隊長から師団長に抜擢された猛将で、徹底した攻撃型の指揮官だった。4月15日、李承晩に挨拶に来たヴァン・フリートは「閣下、私は戦うため来ました。国連軍はこれから共産侵略軍を撃滅します」と言った。
中共軍は、第4次攻勢が10万人近い損失を出して失敗するや、ソウルを占領するため4月22日の夜から第5次攻勢に出た。2個兵団約30万人を動員し、主力の第19兵団(9個師団)が坡州を、第3兵団(9個師団)は春川を経て加平方向に攻め込んだ。
19兵団の正面には英国軍29旅団が構えていた。グロスター大隊は積城面の「雪馬里戦闘」で包囲されたが、3日間陣地を死守した。中部戦線でも、英連邦27旅団が中共軍3兵団の攻撃を加平で阻止した。
アトリー英首相は当時、韓国戦に米軍を集中しないようトルーマンに圧力をかけていたが、グロスター大隊など英国軍の奮戦で、中共軍のソウル占領は挫折した。
国連軍は4月26日、ソウル西北方27キロで共産軍の攻撃を阻止した。ソウル東北方で反撃に出た米1軍団は4月28日、ソウル北方のゴールデン線を占領し、5月4日には奉日川‐春川‐麟蹄‐束草の北方へ進撃した。
中共軍の春季攻勢は、中共の戦争遂行能力が限界に達したことを示した。国連軍は戦線の主導権を確実に掌握した。ヴァン・フリートは、東京の国連軍司令部に元山上陸作戦を提案した。米軍が元山に上陸し、東海岸の国軍1軍団が北進して、中西部戦線の中共軍後方を脅かし、疲弊した中共軍を平壌‐元山線まで押し上げるという野心的な構想だった。
しかし、東京の司令部はこの作戦を許可しなかった。東京のリッジウェイは攻勢的なヴァン・フリートとは全く違った。リッジウェイは「大きな被害が伴う無謀な追撃は避け、慎重に選ばれた目標へ進撃する、限られた攻勢」を望んだ。前方の将兵の反応は「引き分けのため死ぬのか」という冷ややかなものだった。
戦況が国連軍に有利になった5月4日、米国家安全保障会議は、新しい極東政策NSC48/4を採択した。内容は、韓国の政策目標を政治と軍事に分離し、政治的には統一独立国家を追求し、武力による統一を試みてはならず、軍事作戦で38度線に到達すればそこで休戦すべきだという内容だ。
米合参は5月17日、NSC48/4を補完したNSC48/5を作成してトルーマンの承認を得た。内容は、韓半島問題を当面目標と最終目標に分けられた。当面目標の戦争解決は、戦争前の状況で停戦することで解決し、最終目標の統一国家樹立は、国連で追求する。主な内容は次のとおりだ。
韓国問題の政治的解決を最終目標とする。適切な国連機関を通じての紛争解決を追求するが、それは最小限次のような条件を満たさなければならない。
適切な休戦協定をもって敵対行為を終結する。38度線以北に位置する境界線の南の全域に、大韓民国の管轄権を確立する。
新しい侵略の阻止、撃退に十分な大韓民国の軍事力建設を許容する。以上の当面目標が達成されるまで侵略を膺懲し続ける。
韓国での敵対関係がソ連との全面戦争に拡大するのを防き、特に、中共との敵対行為が韓半島の外へ拡大されることを防止するよう努力せねばならない。(つづく)