洪熒 本紙論説主幹
マッカーサーは東京でラジオ放送を聞いた副官から、自らの解任を聞いた。遠大な戦略を構想していた彼は屈辱感を覚えた。
マッカーサーが追求した勝利は、韓半島の敵を殲滅し、韓国を民主政府で統一するだけではなかった。彼の構想は、共産主義が二度と再起できないよう、赤い思潮の歴史的な退潮を記録する打撃を加え、世界的な規模で共産主義を敗北させることだった。つまり、第3次世界大戦を覚悟して、地上から共産主義を抹殺せねばならないという固い哲学を持っていた。
だがトルーマンは、終始6・25戦争を制限戦争と規定した。二人の衝突は避けられなかった。
トルーマンにとって、韓半島よりヨーロッパがはるかに重要だった。兵力を東アジアに投入しているときにヨーロッパで戦争が起これば、ヨーロッパを守れないと考えた。彼のマッカーサー召喚命令書には、韓国で共産主義を阻止するものの、全面戦争への拡大を防ぎ、3次世界大戦を予防する「制限戦争」の性格がよく現れている。
マッカーサー解任について、米国の保守系論客アン・コールターは、次のように批判した。
「米国人はマッカーサーの解任に憤怒した。トルーマンの敗北的政策にうんざりした国民は、国中でトルーマンのかかしを燃やした。国際埠頭労組は、マッカーサーの解任に抗議して操業を中断した。マッカーサーがサンフランシスコ空港に到着したとき、50万の人波が祖国に帰還する英雄を熱烈に歓迎した。ニューヨークでは、700万の市民がマッカーサーのため紙の花を撒いたが、第二次世界大戦後、帰国したアイゼンハワーを歓迎した人波の2倍だった」
世論調査で、国民の66%がマッカーサーの解任に反対した。共和党は、マッカーサーを上下両院合同会議で演説するよう招請した。大勢の人々がトルーマンの弾劾を要求した。マッカーシー上院議員は、マッカーサーの誇示的な態度を嫌ったが、トルーマンが勝てる戦争の司令官を解任した決定に対して、より不快感を表わした。彼はトルーマンが『夜中に甘い酒に酔って決定をした』と非難した。
トルーマンのマッカーサー解任は、国連決議(1950年10月7日)に基づき、共産侵略を粉砕し、韓国の統一を勝ち取ろうとした李承晩とマッカーサーの必死の努力が敗北したことを意味した。つまり、北韓地域を収復し、統一を成し遂げようとした李承晩とマッカーサーの遠大な構想が破れ、韓半島の分断が永久化されるのだ。
李承晩は、マッカーサーの解任が伝えられた4月11日、緊急閣議を招集し、次のような決然たる意志を表明した。
「みなさん、私たちは今、マッカーサーを失うことで瀬戸際に立たされました。こうなってみて、彼の軍人としての偉大さと、彼のわれわれ大韓民国への愛情と思いやりがどれほど深いものだったかを一層感じます。トルーマンは、われわれからマッカーサー将軍と共に希望を奪いました。(中略)トルーマン、その人はこの戦争を適当に終わらせようとしています。そうなれば、わが大韓民国はどうなるのか。もう一つの38度線が現れて、また三千里江山が真っ二つになり、3000万民族が永遠に分かれることになります。国務総理と長官のみなさん、私は決心しました。われわれは国連軍の援助を受けてはいるが、わが国土、わが民族を分断するいかなる措置も受容せず、この戦争を適当に終息させようとするなら、勝利でないなら死を覚悟して絶対反対します」(つづく)