凍土を砕き、人力で山道を切り開く
冠帽峰のふもとには広大なジャガイモ畑が広がっていた。「この畑のジャガイモは共和国で一番おいしい」と指導員は自慢していた。山全体が、ジャガイモ栽培に適した土に覆われているのだという。ジャガイモはかつて収容者が植えたものだった。
私たちはその説明を受けた後、越冬させるために掘ってあった貯蔵庫から1人5キロのジャガイモを取り出すように言われた。貯蔵庫は土饅頭の下にあった。土饅頭には50センチ四方の木製の扉があり、開けて中を覗くと、驚くほど広い倉庫になっていた。
出入り口からはハシゴで2・5メートルほど下りる。倉庫の幅は約4メートルで中央に1メートル幅の通路があり、両側には木製の5段の棚が並んでいた。奥行きは10メートルほどで、突き当たりには直径20センチくらいの陶器製の円筒が3本外に向かって伸びていた。換気口である。倉庫の入り口付近と奥には温度計と湿度計があった。
棚に並んだジャガイモは、ウサギの頭ほどの大きさだった。私は北朝鮮各地のジャガイモを食べてきたが、これほど立派なものを見たのは初めてだった。
冬は零下35度にもなる極寒の地だったが、倉庫に貯蔵してあるジャガイモはほとんど凍っていなかった。棚の上の方にいくつか凍って黒く変色したジャガイモがあったが、それは捨てずに別途集めた。凍ったサツマイモなら捨てるしかないが、ジャガイモはすりつぶして水に浸せばでんぷんがとれ、冷麺の材料にできる。本当に貴重な食糧だった。
私は倉庫の中でジャガイモを15個ほど麻袋に入れた。それだけで5キロは優に超えているようだった。1個400~500グラムになる計算だ。
夕食時間、炊事係の女性が1人に1個ずつふかしたジャガイモを配ってくれた。倉庫の中では泥だらけで保管されていたが、目の前のジャガイモはきれいに洗ってあり、見るからにおいしそうだった。やはり大きさはウサギの頭ほどあった。皮はほとんどはちきれていて、白い身がのぞいていた。指で皮をつまむと、するりとはがれた。
味はまさに別格だった。あのおいしさは、いまだに忘れることができない。現物が手に入るなら、ぜひとも多くの人に味わってもらいたい。大げさではなく、日本で売っているジャガイモよりもおいしいと驚かれることだろう。
肝心の道路工事は困難を極めた。北朝鮮北部の山間地は、4月の末ごろでも地面が凍っている。私たちの居住区は海抜1000メートルに満たない場所だったが、現場は1200メートル以上の山中だった。山肌を蛇行するように道を切り開いていく作業はほとんど人力で、汗だくになりながら木を切り根を掘り起こし、岩を取り除きながら進めていった。
どうしても人力でできないところだけ道路管理局の専門家に相談して発破作業を行ったが、まさに人間と自然との闘いであった。まったく楽しい思い出もないつらい作業だった。
地面を20センチも掘れば、その下は凍土である。凍土を掘るのも人力であるが、凍土をいくらツルハシで叩いてもなかなか掘り起こすことはできない。むしろ、凍った土が飛び散って顔にあたり、血を流すことも珍しくなかった。当時作業にあたった全労働者が、一度はそれを経験しているはずだ。
そのため凍土が表れると、そこに枯草を積んで火をつける。最低でも2時間は火を絶やしてはならず、それを2メートルおきに行うのだから、工事はなかなか進まなかった。
現地の人が使っていた、岩に穴をあけるための工具がある。太さ3・5センチ、長さ30センチほどの六角柱で、鋭利な先端部は特別に硬い金属で加工されていた。「イッシャク」と呼ばれるその工具は、どうやら茂山鉱山の技術者から広まったらしい。長さは一尺ほどなので、植民地時代に根付いたものだろう。イッシャクの先端を岩に当て、ハンマーでたたいて砕くという作業は常にあったため、現場には数十本のイッシャクが常備されていた。
(つづく)