高麗青磁への情熱-86-

まさ子の発病(四)
日付: 2017年03月08日 22時06分

 「四年前、あたしの仕えている若奥様がこの家にお嫁に来られましたが、最初の晩に新郎が亡くなられ、これまで二人きりで暮らしてまいりました。ところが昨日の晩、どうしたことかお客様の来られたあと、若奥様が梁に首を吊って亡くなられて、それであたしが泣いていたのです」
その言葉を聞いたこの馬鹿な学者、一言半句も返せず、そのままあたふたとその家を出てソウルに着きはしたが、科挙試験に落第という憂き目をみた。
その後も何度もソウルに出て、科挙試験を受けたが、そのたびに落第であった。女の気持ちを汲んであげなかった学者の一生は、結局その女の気持ちに縛られていたということである。学者がその手で女を殺した訳ではないが一生涯、官職にも就けず片田舎で身を持ち崩してしまったという話なのである。
私はふと、その学者の犯した行いを思い浮かべて胸に迫るものを感じた。まさ子をこのまま放っておいて、あるいは死にでもしたら、あの学者のような運命をたどるのかもしれない。したがって、私が暫く犠牲になっても、まさ子の命を救わねばならない、そう考えた。
「人というものは、死んではなりませんからね」
「ああ、そうか!」
彼ら四人はあまりの嬉しさに、じゃあ早く出かけようと催促した。私は工場からの出がけに、仕事道具を箱にしまい込んで、崔鎭煥君に言った。
「今日はまさ子の家に行って、帰ってこられないようだから、母にそう伝えておいてくれたまえ」
私はまさ子の母の後に従いていった。電車に乗り黄金町一丁目で降り、安合号で買い物をしてから再び後を従いていった。
まさ子の家は東洋拓殖会社裏の小さな朝鮮式の藁葺家だった。われわれが中に入ると、その気配に気づいたまさ子が訊いた。
「誰?」
「あたしよ」
「お母さんなの?」
「そうよ」
まさ子の母が先ず部屋に入った。
私は靴の紐を解いていた。編み上げ靴はひどく時間がかかるものなのである。靴の紐を解きながら考えた。どんなことを言ってまさ子を慰めてあげようか。
部屋に入って、床に就いている彼女を見ると、それはひどい姿だった。骨と皮がくっついているかのようで、とても見ていられないくらい痩せ細っていた。
「まさ子、ごめんよ。おまえがこんなだとは知らなかった」
「何ですって? 誰があなたに来て欲しいって言って? 何故来たの? どうして来たのよ? 帰ってちょうだい、帰って!」


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