展開される熾烈な情報戦
金正恩の異母兄・金正男の暗殺が、北韓政権の組織ぐるみの犯行であることを示す証拠が、明らかになっている。遺体の顔からは北韓工作員が使用してきた化学兵器の成分「VX」が検出され、今まで明らかになった容疑者10人のうち8人が北韓人だ。にもかかわらず、北韓は、金正男が心筋梗塞で自然死したと主張。しかし、金正男の遺体は、犯人が北韓であることを証明しており、マレーシア政府は北韓の大使を国外追放し、断交を検討し始めている。(ソウル=李民晧)
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6日、マレーシア政府から国外追放された姜哲・北韓大使(奥)。すでにマレーシアは自国の駐北大使を召還したほか、北韓からのビザなし渡航を中止している |
「心臓発作」の偽装失敗
2月13日、マレーシアのクアラルンプール国際空港第2ターミナルビルで暗殺された金正男。一日の利用客が10万人に達する空港で、わずか2秒あまりの犯行だった。直接の実行犯は、ベトナムとインドネシアのパスポートを持つ20代の女性二人だったが、マレーシア警察は、残る8人の容疑者全員が北韓のパスポートを所持した者であることを明らかにした。事件に北韓が関与していることが明らかになった瞬間だ。
マレーシア警察はまた、計画的な犯行であると断定した。カリド・アブ・バカール警察庁長は2日、マレーシアの現地メディアに「明白な殺人の証拠を持っている」とし「キム・チョル」(金正男)を死に至らしめたのが猛毒の神経剤であるVXであることも明らかにした。
マレーシアを訪問した北韓代表団の李東一・元国連代表部次席大使は1日、現地で記者会見を開き、「キム・チョルは心筋梗塞、つまり心臓病を患っていた。通常のコンディションのときも、心臓病関係の薬なしで旅行をすることができなかった」と主張した。
北韓の主張は、死因は心筋梗塞であり、突然死であったと解釈される。しかし、これに対してバカール庁長は、「(殺人の)証拠は残されている」と反論した。
VXは急激な呼吸困難を引き起こし、対象者を死に至らしめる。北韓は当初から金正男を「心臓発作死」に偽装しようとしたという推定が可能だ。
北韓が初動段階で遺体を火葬しようとして、マレーシア当局と遺体の”争奪戦”を繰り広げたのもそのためだ。しかし、マレーシア当局が、遺体を遺族に渡すと決めたことで、完全犯罪にすることはできなかった。死因が毒物によるものであることは明白で、北韓の仕業であることも明らかになったからだ。
3年前にも放火殺害未遂
マレーシア当局に遺体の引き渡しを拒まれると、北韓はマレーシアを誹謗しはじめる。事件から10日目の2月23日、朝鮮法律家委員会のスポークスマン名義の談話だ。
「マレーシア側は国際法と倫理道徳を眼中にも入れず、遺体の移管問題を政治化し、いくつかの不純な目的を成し遂げようと考えている」
北韓の意図したとおりであれば、マレーシアが北韓大使館に心臓発作による死亡であることを確認し、遺体を引き渡していたはずだ。しかし、それが通らなかったことに不満を抱いているのである。
北韓は死者を「キム・チョル」という名前で呼んでいる。しかし、マレーシアのアフマド・ザヒド・ハミディ副首相は、「『キム・チョル』は、金正男で間違いない」と記者会見で明らかにした。
こうしたマレーシア当局の発表について、マレーシアが金正男の識別情報、DNAなどの身体情報を確保しているという話が出ている。そうでなければ、実際の身元を当局者がメディアに話すのは難しい。肉眼や心証ではなく、科学的な根拠となるDNAの情報を持っているということだ。
この過程で、韓国の情報機関が、マレーシア当局に金正男のDNA情報を提供していた可能性が提起された。実際のDNA情報は、クアラルンプールで「コリョウォン」という韓国レストランを運営するファン・イルロク(現地名アレックス・ファン)氏が、国家情報院の職員に提供したとされている。
2月24日、現地でファン氏に会ったある消息筋は「ファン社長が、自分のレストランに来た金正男の茶碗とスプーンをそのまま大使館に持ってきてくれた」と伝えた。ファン氏は現地の韓国人社会に強い影響力を持ち、韓国関連の情報については「知らないことはない」と言われるほどの人物だという。
クアラルンプールで5カ所の高級韓国料理店を経営するファン氏は、マレーシア韓人会長を務めたことがあり、現在は平統(民主平和統一諮問会議)のマレーシア地域議長となっている。
北韓がマレーシアで金正男を殺害しようと試みたのは、今回が初めてではない。2014年2月にも、クアラルンプールの北韓大使館から20メートルの距離にあった金正男の宿泊施設で、原因不明の火災が発生した。火災に見せかけた、北韓の放火殺人未遂の疑いがささやかれている。
遺体が「犯人=北韓」を立証
窮地に追い込まれた北韓は、「韓国黒幕説」という詭弁を弄しているが、北韓の緻密に計画された犯行であることを否定する根拠はなさそうだ。韓国内には、北韓の犯行説を裏付ける明白な証拠は不足しているといった見方がある。次期大統領の有力候補である文在寅氏は先日、本人の選挙組織を発足する席で、金正男暗殺問題について「朴槿惠政権の安保が弱く無能なため」と、不得要領な発言をした。金正男暗殺の責任が政府にあるとでも言いたげなコメントだ。
しかし、金正男暗殺の主犯は、彼の遺体が証明しているといえる。マレーシアが遺体を北韓に引き渡していないのは、VXが検出された体と、そのDNA情報を確保しているからだ。マレーシア警察庁長の「(殺人の)証拠は残されている」という発言は、犯人像がはっきと描けている自信の表れだ。