脱北帰国者が語る 北の喜怒哀楽

「美女狩り」担当5課(2)
日付: 2017年02月22日 22時30分

金正日の特閣で撮られた「喜び組」のショー

 金正日時代に入って頻繁に「喜び組」が出演するパーティーに参加していた常連客は、過去の老世代より若い、金容淳、金炳夏、張成沢、李勇武、金忠一、呉克烈、李東浩らだった。彼らは金正日が一番信頼していた最側近であった。
「喜び組」の若い女性は一般の女優とは比べものにならないほど、歌や踊りに秀でていた。それも朝鮮の歌や踊りだけではなく、外国の作品もレパートリーに入っていた。
ピアノをはじめ、弦楽器、打楽器、吹奏楽器の演奏も心得ている。芸術万能かつ才色兼備で、器量も完璧な女性たちだと聞いている。金正日をはじめ、高級幹部のあらゆるリクエストに対応するのが「喜び組」の任務なのだ。
単に容貌に秀でているだけではグループに属せないという。北朝鮮で一般人にも広く知られる万寿台芸術団、血の海の歌劇団、旺載山軽音楽団、普天堡電子楽団、朝鮮人民軍協奏団、青年協奏団(1990年代末に解散)なども、北では一流の芸術団であるが、美貌にしろ演奏の技量にしろ「喜び組」に勝る芸能人はいなかったという。
「喜び組」の女性は金正日から一番厚い寵愛と物質的配慮を受けていた。洋服、下着、覆物、化粧品はシャネルなどの一流ブランド。カバンはエルメス、時計はオメガなどと聞いた。
私は以前、金正日の特閣(別荘兼迎賓館)で働いていた警備中隊長から秘密裏に「喜び組」の舞台公演DVDを入手した。その中隊長は私の妻(現地人)の近い親戚で、10年で除隊した。除隊する時には金正日の名義でダンボール1箱分の贈り物を授けられた人物で、長身の好男子だった。
DVDはこのダンボールの中に入っていたという。自分は10年間特閣の中で見てきたため必要ないといい、私にくれたのである。彼は軍隊に行く前から、私に対しては親近感を持っていたようだった。私もただで受け取るわけにはいかず、21石のセイコーの腕時計をあげた。
北では軍の将校になると、一般的に30代まで除隊できない。しかし、彼は警備哨所で酒に酔ったある幹部を乗せた「2・16ベンツ」の前輪に右足の親指を潰され、医師の診断でそれ以上軍務は不可能という診断を受けた。この事故で除隊することになり、生まれ故郷であるK市に帰ってきた除隊軍人だった。彼は事故の影響で、歩行時には杖を使っていた。
彼からもらったDVDを早速再生してみた。国内の映像物は見たことがあったが、このような極秘映像は初めてだった。全部述べるのは紙幅の関係でできないが、一部だけ紹介する。
最初に映し出されたのは、朝鮮の民族舞踊「牧童と娘」「月夜の出会い」、そして外国舞踊「ウクライナのタップダンス」。20人が出演する壮観な演目だった。さらに「エジプトカイロの夜」「ジプシーの踊り」などだった。
驚いたのは彼女たちの服装だ。半裸のビキニ姿だったのである。「ジャワ島の娘達の田植え」では、小さなブラジャーに木の葉を腰に巻いただけの10人の踊り子が登場した。途中で踊り子たちが客席に尻を向け、全員がそろって腰を曲げ、田植えをする様子を表現するシーンがあるのだが、そこで客席から拍手喝采が起きた。なぜなら全員下着を着けていなかったからだ。女性たちは両足を閉じていたのだが、このシーンが一番印象に残っている。
2枚目のDVDは歌謡編だった。ロシア民謡「100万本の薔薇」「モスクワ郊外の夕べ」、イタリア民謡「オー・ソレ・ミオ」「サンタ・ルチア」、ピアノ演奏では「エリーゼのために」「乙女の祈り」、シューマン作曲の「トロイメライ」、そしてタイトルは覚えていないが2名での連弾。
歌謡で一番印象的で感銘を受けたのは、日本の演歌「瀬戸の花嫁」「みちづれ」「ここに幸あり」「あざみの歌」であった。彼女たちの日本語の発音や音程は正確で、とても北の娘とは思えない程だった。さすが金正日が寵愛していた娘たちは違うと、変に感心させられたものである。(つづく)


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