金正日の誕生日、いわゆる「光明星節」75周年を前にした13日、金正日の長男・金正男が、クアラルンプール国際空港で出国手続き中、2人の女性によって暗殺された。2001年5月、不法パスポートで日本に入国して拘束・追放され、金氏王朝の後継者から完全に外されてから、海外で自由奔放に生きてきた金正男は、少なくとも3人の妻と3人以上の子を残して46歳で客死した。金チョルという偽名のパスポートを持っていたという。
自分の後見人だった叔父の張成澤が処刑されてから3年2カ月後だ。韓国に亡命していた従兄の李韓永はちょうど20年前、平壌が送った刺客に暗殺された。北側は、金正男の死体の引き渡しをマレーシア当局に要求し、剖検にも反対したが、マレーシア当局は、北側の要求を拒否して遺体を家族に渡すという。15年前に外国(ロシア)で死亡した金正男の生母・成惠琳の墓はモスクワにある。もし金正男の遺体が北側に渡されたら、張成澤のように墓もなく、遺体は痕跡なく処理されたはずだ。
まだ犯人は全員捕らえられていないが、マレーシアにいた数百人の北韓人のうち、少なくとも数人が連累していることだけを見ても、金正恩が暗殺を指令したのは明確だ。10人以上が動員された長期の追跡と緻密な暗殺作戦が、金正恩の指示なしに、どうして可能だろう。
金正男は、処刑された叔父や平壌の最高特権層と同様に、日本では個人的人脈、主に朝総連系の秘密組織の支援を受けていた。金正男は日本で拘束される前から、朝総連財政局をはじめ、傘下企業の幹部Jと商工人Pなどと繋がっていた。金正男は25歳のとき、同居する女がいたのに、朝総連有力者の娘と見合いをしたことがあるという噂があった。父の金正日が北送同胞(高英姫)を4番目の妻にしたためだろうか。
金正男は権力もなく海外をさまよったが、「白頭血統」を受け継いだ者として、中国の庇護を受けながら没落した王家の一員のように暮らした。
金日成王朝は、21世紀の地球上で最も抑圧的な全体主義独裁体制だ。主体年号を使う北の中のすべては、人民の命までも全部首領の所有だ。朝鮮労働党も首領の所有だ。王朝の歴史は元々血の歴史だ。唯一思想体系を確立するためには、無慈悲な粛清が基本前提となる。
太平洋戦争中に死亡した日本国民は310万人程度だという。ところが、韓半島は1945年8月以来、南北分断のため約700万人が死亡した。その中の600万人程度が金氏王朝の下で死んだ。金氏王朝は戦争でない時期に自国民を20%以上虐殺した。金氏王朝では国民の1%程度は常に政治犯収容所に収容されている。もちろん、首領には人民に適用される一切の法令や義務などが適用されない。
抗日パルチザンの伝統を国家の公式理念とする北韓の指導者は、自分の所有物である人民の中から美女をいくらでも選べた。「喜ばせ組」で有名になった金正日は、父親よりもさらに放蕩な生活を楽しんだ。
金正日の女が何人なのか、子は何人なのかは正確にわからない。金正日は人民の前に自分の配偶者を公開したことがない。首領の家族について知ろうとするのは、厳しい処罰の対象だ。金正日が死ぬ前に脳卒中で倒れた後、急いで三男の金正恩を後継者に定め、朝鮮労働党と北韓住民の前に公開したとき、北韓住民は困惑した。首領の後継者であるから疑ってはならず、無条件で忠誠を誓うべきだった。首領と後継者に対して人間的関心を持つのはタブーだ。
金正恩は亡父が残した摂政体制と遺言に従わなかった。金正恩時代になり、粛清と処刑は無慈悲さが強調されている。張成澤の処刑後、連座制や連累者として粛清された人は2万人に達し、公開処刑された幹部だけでも1000人に達するという証言がある。全体主義暴圧体制では、いくら人材を育成しても、政治的な理由でいつでも粛清・処刑されるため、人材を養成する意味がない。
異母兄の殺害は、封建時代にあったことだ。1人の王子が王位を継ぐと、残りの王子を全員殺す伝統を持つ王朝もあった。唯一指導体系での「小枝切り落とし」こそ、そういう時代の伝統だ。人民を残酷に扱う統治体制は、最後には思いのほか簡単に崩れるものだ。
以前のように徹底した情報統制が不可能になった北韓で、今回の金正男暗殺は住民にどう受け止められるのか。住民は神々(首領たち)の醜悪な面に気づくはずだ。さて朝総連はどう受け止めるのか。 (つづく)