大韓民国の建国史(59)

米国の制限戦方針と中ソの対応
日付: 2017年02月22日 21時42分

 戦線の総崩壊という絶望的な状況で、金日成は9月29日、スターリンに直接介入を要請する緊急書簡を送った。要旨は次のとおりだ。
「朝鮮労働党は朝鮮人民の解放と全世界の労働者を指導している貴下に、朝鮮労働党と北朝鮮人民を代表して深く感謝を申し上げる。…敵がソウルを占領すれば北朝鮮に対する侵略が予想される。したがって、これから状況がわれわれにとってもっと悪化すれば、結局米国の勝利で終わるだろう。…われわれは、韓半島が米帝国主義者たちの植民地になるのを防ぐため、決死抗戦の決意を誓っている。独立と民主主義、そして人民の幸福のため、われわれは命をかけて最後の一滴の血が尽きるまで戦う。
親愛なるスターリン同志。
われわれは、貴下からの特別な支援を期待する。具体的に言えば、敵が38度線を越える場合に備えて、ソ連側の直接的な軍事援助をお願いする。もし、政治的な理由でこれを受け入れることができない場合は、中国とその他の人民民主主義国による国際義勇軍の創設を図り、北朝鮮への軍事支援をお願いする」
国連軍総司令官のマッカーサーは9月30日、東京とソウルからの放送を通じて金日成に無条件降伏を要求する最後通告を送った。翌10月1日、国軍第3師団が38度線を越えて北進を開始した。その夜、金日成は北韓駐在中国大使の倪志亮と参事官の柴成文に会って、「マッカーサーはわれわれに降伏を求めているが、決してそうするわけにはいかない。中国側が鴨緑江に集結させている第13兵団を迅速に渡らせ、敵に反撃するようにしてほしい」と要求した。
同日、金日成と朴憲永は毛沢東に救援を訴える手紙を送った。
「敵がわれわれの深刻な危機を利用して時間をかけず38度線以北に進撃し続ける場合、われわれの独自の力量だけでは、この危機を克服することは難しい。われわれはあなたに特別支援を要請せざるを得ません。敵が38線以北の地域に進撃する状況で、中国人民解放軍が直接出動してわれわれの作戦を支援してくださることを切に願います」
金日成の要請を受けたスターリンも、すぐ電文で毛沢東に中国軍の派兵を要請した。1950年は、中華人民共和国の樹立から1年が経っていたが、国共内戦が完全に終わった状況ではなかった。中国人民解放軍の主力部隊は国民党の残余部隊が占領した、いくつかの沿海島嶼地域で戦っていた。また、数万の人民解放軍が広大な西北と西南、チベット地域へ進軍して辺境に残っている国民党遊撃隊などと死闘を繰り広げていた。当時、辺境地域に散らばっていた国府軍兵力は40万人に達した。
金日成は、満州で共産パルチザン活動をするときは中国共産党員だったが、ソ連に逃走した後はソ連軍将校となってソ連共産党員になり、ソ連の管轄指導下に入った。しかし、毛沢東は歴史的・地理的条件から、北韓をソ連に任せ、傍観するわけにはいかなかった。できれば支配権をソ連から回収したかったし、無理ならソ連と共同管理でもしたい気持ちだった。
ソ連を6・25戦争に介入しないようにしたアチソンの制限戦努力は、国連軍が仁川上陸作戦に成功して北進を開始した直後にも展開された。米空軍機が10月8日、韓ソ境界線および韓満境界線の8キロ以内は爆撃禁止だったにもかかわらず、シベリアを誤爆した。米国務省は、すぐ外交ルートでソ連に遺憾を表明し、損害賠償を提案して事件を解決した。(つづく)


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