脱北帰国者が語る 北の喜怒哀楽

18歳の少女を選抜する「お客様」の目的は・・・
日付: 2017年02月16日 06時04分

「美女狩り」担当5課

 私が40代後半頃の話だ。高等中学校の卒業を2カ月後に控えた次女が、担任から「放課後、体育館に行って中央から訪ねて来るお客様に会って、その方たちの指示に従いなさい」といわれ、同じクラスのもう一人の女子生徒と2人で体育館に行った。そこには、すでに4人の女子生徒が待機していたという。
指名された6人は空いている教室に連れていかれ、本人と両親の名前、出身地、学習成績、趣味、生活、得意な科目、将来の志望、そして身長、体重、健康状態などの聞き取り調査を受けた。「お客様」は、なぜ娘たちが体育館に集合させられたのかを説明した。「顔も知らぬ男性が個別に狭い教室で面接するといえば、年頃の女子生徒だから違和感と猜疑心を抱くと思い体育館に来てもらった」という説明だった。自分にやましい気持ちがないこと、女子生徒への配慮を示したのだった。
彼らは「美女狩り」の専門家だった。そのため少女たちの心理を熟知していた。3日前から学校内で、特に体育授業の時、運動服姿で立っている生徒たちを事前にチェックした上で、担任の教師に指示を出して横一列に整列させ、特定の女子生徒を見定めるのである。体育館に集められたのは、こうして選抜された生徒だった。
北朝鮮ではこれを「人物審査」と呼んだ。初日にしたのはそれだけだった。女子生徒たちは2日後に再度空き教室に呼び出された。
しかし、ある1人の女子生徒だけは名簿から外されていた。その学生こそ18歳になっていた私の娘であった。私が2回目の人物審査はどうだったかと聞くと、娘は「6人の中で唯一、私だけ名前がなかった」と答えた。その表情は何かに失望しているように見えた。
私はその理由が瞬時に分かった。「在日帰国者」という父親の経歴が子どもに不愉快な影響を与えたのであった。父親がいくら党員だとしても、日本や中国、ソ連など、海外縁故者は最初の審査で必ず除外されてしまうのだ。
彼女たちが接する党、軍、行政の高級官僚は、誰よりも国家機密を持っている。直接的・間接的に漏れた秘密が国外に伝われば、一大事になる。独裁国家となればなおさらだ。
「お客様」は、最高権力者の身辺警護を行う朝鮮労働党5課の職員である。学校側も在日帰国者の子女が「5課対象」に選ばれたのは初めてなので、中央からの来客に特別強調しなかったという。そう娘の担任が後で申し訳なさそうに本人に説明してくれたらしい。
美女には選抜基準が存在した。身長158センチから170センチまで。体重は減らしたり増やしたりできるので、よほどでなければ関係ない。均整の取れたスタイルで、美貌であることは必須。肌の色や歩き方も選考対象になる。内股や外股で歩くのは駄目だった。
「人物審査」で合格した学生は、専門病院に連れて行かれ精密な身体検査を受ける。レントゲン検査をはじめ、内科、外科、婦人科、さらには肛門科や咽喉科などで検査を受け、すべてをパスできなければ除外される。しかし、容姿が際立って優れている場合は、健康面に多少の問題があっても、「特別治療」を受けさせるため連れて行かれるケースもあるという。
ただし、無条件で除外される項目がある。処女でないと診断された場合だ。少女たちは国のトップはもちろん、高級官僚たちに捧げる「花束」であるからである。
「喜び組」は、1970年の後半頃から内輪の宴席に出演しはじめた。毎週のように豪華なパーティー、音楽会、舞踊会が開かれた。幹部たちは毎晩20歳前後の踊り子を傍に座らせて「酒池肉林」に酔い痴れていた。庶民たちは食料不足でトウモロコシもろくに食べることができず、生活苦にさいなまれていた時期の話である。(つづく)
本原稿は、2015年5月まで本紙で連載されたものの続編です。16年11月に高木書房から同名書籍が発行されましたが、同書に追加された原稿のノーカット版となります。 私が40代後半頃の話だ。高等中学校の卒業を2カ月後に控えた次女が、担任から「放課後、体育館に行って中央から訪ねて来るお客様に会って、その方たちの指示に従いなさい」といわれ、同じクラスのもう一人の女子生徒と2人で体育館に行った。そこには、すでに4人の女子生徒が待機していたという。
指名された6人は空いている教室に連れていかれ、本人と両親の名前、出身地、学習成績、趣味、生活、得意な科目、将来の志望、そして身長、体重、健康状態などの聞き取り調査を受けた。「お客様」は、なぜ娘たちが体育館に集合させられたのかを説明した。「顔も知らぬ男性が個別に狭い教室で面接するといえば、年頃の女子生徒だから違和感と猜疑心を抱くと思い体育館に来てもらった」という説明だった。自分にやましい気持ちがないこと、女子生徒への配慮を示したのだった。
彼らは「美女狩り」の専門家だった。そのため少女たちの心理を熟知していた。3日前から学校内で、特に体育授業の時、運動服姿で立っている生徒たちを事前にチェックした上で、担任の教師に指示を出して横一列に整列させ、特定の女子生徒を見定めるのである。体育館に集められたのは、こうして選抜された生徒だった。
北朝鮮ではこれを「人物審査」と呼んだ。初日にしたのはそれだけだった。女子生徒たちは2日後に再度空き教室に呼び出された。
しかし、ある1人の女子生徒だけは名簿から外されていた。その学生こそ18歳になっていた私の娘であった。私が2回目の人物審査はどうだったかと聞くと、娘は「6人の中で唯一、私だけ名前がなかった」と答えた。その表情は何かに失望しているように見えた。
私はその理由が瞬時に分かった。「在日帰国者」という父親の経歴が子どもに不愉快な影響を与えたのであった。父親がいくら党員だとしても、日本や中国、ソ連など、海外縁故者は最初の審査で必ず除外されてしまうのだ。
彼女たちが接する党、軍、行政の高級官僚は、誰よりも国家機密を持っている。直接的・間接的に漏れた秘密が国外に伝われば、一大事になる。独裁国家となればなおさらだ。
「お客様」は、最高権力者の身辺警護を行う朝鮮労働党5課の職員である。学校側も在日帰国者の子女が「5課対象」に選ばれたのは初めてなので、中央からの来客に特別強調しなかったという。そう娘の担任が後で申し訳なさそうに本人に説明してくれたらしい。
美女には選抜基準が存在した。身長158センチから170センチまで。体重は減らしたり増やしたりできるので、よほどでなければ関係ない。均整の取れたスタイルで、美貌であることは必須。肌の色や歩き方も選考対象になる。内股や外股で歩くのは駄目だった。
「人物審査」で合格した学生は、専門病院に連れて行かれ精密な身体検査を受ける。レントゲン検査をはじめ、内科、外科、婦人科、さらには肛門科や咽喉科などで検査を受け、すべてをパスできなければ除外される。しかし、容姿が際立って優れている場合は、健康面に多少の問題があっても、「特別治療」を受けさせるため連れて行かれるケースもあるという。
ただし、無条件で除外される項目がある。処女でないと診断された場合だ。少女たちは国のトップはもちろん、高級官僚たちに捧げる「花束」であるからである。
「喜び組」は、1970年の後半頃から内輪の宴席に出演しはじめた。毎週のように豪華なパーティー、音楽会、舞踊会が開かれた。幹部たちは毎晩20歳前後の踊り子を傍に座らせて「酒池肉林」に酔い痴れていた。庶民たちは食料不足でトウモロコシもろくに食べることができず、生活苦にさいなまれていた時期の話である。(つづく)

木下公勝

 本原稿は、2015年5月まで本紙で連載されたものの続編です。16年11月に高木書房から同名書籍が発行されましたが、同書に追加された原稿のノーカット版となります。


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